人間に興味を持った妖精のラーラが現在過去未来と遊びながら、少しづつ人間を理解していきます。
第二部 夢のまた夢 23.24.
2007年08月05日(日) 19:21

23




「へえ、あんたも絵画きさんかい」と寅吉爺さんは久美子に言った。「わしも先生に習って絵を描いてみたが、全然、駄目じゃ。わしのなんか、みんなの笑いもんじゃ。だが、絵を描くのは楽しいからな、わしは今でも描いとるよ。それと、尺八も先生に教わった。わしは色々と先生に教わっとる。先生のお陰で、わしは毎日、楽しいよ。本当だったら、わしなんか、こんな小さな村のただの百姓じじいじゃ。それが先生のお陰で、何か急に自分が大きくなったように思える。わしゃ幸せじゃよ」

「先生は尺八もおやりになるんですか?」

「ああ。やるなんてもんじゃない。凄いよ。先生の尺八を聞いてると、もう胸がジーンと来るね。専門的な事は何も知らんが、先生は尺八の方だって立派に先生になれる。何というかな、自然の偉大さっちゅうのか、そういうのがジーンと響いて来るんじゃ」

「おじさんもやるんでしょ?」

「わしなんて駄目だ。ただ、音が出るっちゅうだけじゃよ」

「お願い。聞かせて、ね、お願い」

「いや、駄目、駄目」

「尺八、あそこにあるわ。ね、お願い」

「そうか。じゃあ、ちょっとだけな」と寅吉爺さんは壁に立て掛けてある尺八を手に取ると姿勢正しく座り、構える。三回、音を出してから、久美子にうなづき、吹き始めた。



秋のイメージ‥‥‥ 紅葉の山々。虫たちの合唱。稲刈りをする人々。村祭り。


冬のイメージ‥‥‥ 山に降る雪。里に降る雪。夜、雪の中を寒そうに歩く旅人。
村の家々から漏れる暖かそうな灯。


春のイメージ‥‥‥ 小川のほとり、雪を押しのけて咲く春の草花。小鳥たちの競演。
満開の桜の木の下で遊ぶ子供たち。畑で働く人々。
川で遊ぶ魚たち、流れる桜の花びら。


夏のイメージ‥‥‥ 燃える太陽。セミの鳴き声。田植えの終わったたんぼ。
夕立、大雨。
雨あがる。



 寅吉爺さんの尺八の曲、終わる。



 久美子は酔雲の絵を見つめている。

 寅吉爺さんはもういない。


尺八







24




 久美子の家の庭。

 植木いじりをしている祖父。

 久美子がスケッチブックとカバンを抱えて帰って来る。

「お爺ちゃん」

「何だ、久美子か。馬鹿に早いな。もう学校は終わりか?」

「ねえ、この間の酔雲ていう人の絵を見せて」

「どうしたんだ?」

「なぜか、あの絵の事が気になってしょうがないの」

 久美子の顔を見つめる祖父。

「そうか」と言って家に上がる。

 久美子もついて行く。



 祖父は押し入れから、絵を取り出して久美子に渡した。

 久美子は何枚もの絵から酔雲の絵を捜し出して、じっと見つめる。

「お前にも、その絵のよさがわかるようになったか‥‥‥」

「‥‥‥この人、どういう人なの?」

「わしの兄弟子だ。事故で奥さんと子供を亡くしてから、ずっと旅をしていた。旅をしながら絵を描いていた。あの人は日本だけでなく、世界中を絵を描きながら旅をしている。どうやら、最近はやっと落ち着いたらしい」

「今、どこにいるの?」

「山に囲まれた小さな村にいるらしいな」
第二部 夢のまた夢 25.26.27.
2007年08月08日(水) 12:55

25




 山の朝。

 小鳥たちの歌声。

 久美子が山小屋から、のこのこ出て来て、あくびをする。

 朝靄がかかっていて、山々はまるで水墨画のようである。


鳥たちのシンフォニー 森の中で







26




 山の中の道を久美子はスケッチブックを抱えて歩いている。

 草を踏み分け歩いて行くと目の前に綺麗な沼が現れた。

 紅葉に囲まれ、沼は太陽の光を浴びて光り輝いている。

「まあ、綺麗‥‥‥」

 かたわらの石に腰掛け、久美子は沼に見とれている。

 静寂。

 久美子の頭の中に、ふとモーツァルトの幻想曲が流れる。


モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集 - ピリス





27




 流れるモーツァルトの幻想曲‥‥‥

 コンサートホールのステージでピアノを弾いている葉子。

 客席で聞いている久美子。



 子供の頃の久美子と葉子がママゴト遊びをして遊んでいる。

 葉子の母が家の中から葉子を呼んだ。

「葉子ちゃん、ピアノのお稽古の時間よ。早くいらっしゃい。先生が待ってるわ」

「いや、今日はいやよ」と葉子は久美子と遊んでいる。

「そんな事、言わないの」

「やだったら、いや」と葉子は駄々をこねる。

 母親は庭に出て来て、「久美ちゃん、またね」と言うと嫌がる葉子を連れて行った。

 つまらなそうに人形を抱いている久美子。

 家の中から聞こえて来る葉子のピアノ。

 モーツァルトのソナタ‥‥‥

 負けん気の顔をして聞いている久美子。



 祖父が廊下で絵を描いている。

 人形を抱えた久美子が泣きながら帰って来る。

「どうした、久美。犬にでも吠えられたのか?」

「お爺ちゃん、あたしもピアノをやりたい」

「そうか、葉子ちゃんはピアノのお稽古か」

「ねえ、お爺ちゃん、ピアノ、買って‥‥‥ねえ、買って‥‥‥」

「久美、それは無理だよ」

「やだ、やだ、やだ、買って‥‥‥」

「そう、駄々をこねちゃいかん。いいか、久美、お前は葉子ちゃんがピアノをやってるのを見て、自分もやりたくなっただけだろ。本当にお前がピアノをやりたいのなら、お爺ちゃんも考えておく。でも、一度やるって言ったら途中でやめちゃ駄目だぞ。いいか、よく考えなさい」

 久美子はべそをかきながら、よく考えている。



 コンサートホールのステージでピアノを弾いている葉子。

 客席で聞いている久美子。

 幻想曲、終わる。

 割れるような拍手。

 ステージに立ち、大勢の客たちに向かって頭を下げる葉子。

 大勢の客たちの中で拍手をしている久美子。



 喫茶店。テーブルに向かい合って座っている葉子と久美子。

「どうだった?」と葉子が聞いた。

「よかったわ、最高よ」

「ありがとう」

「成功、おめでとう」

「久美もね‥‥‥絵で賞を取ったんでしょ。おめでとう」

「ありがとう」

「久美がピアノをやってなくてよかったわ。もし、やってたら、あたし、完全に負けてた」

「何言ってるのよ。そんな事、あるわけないじゃない」

「でも、久美の描いた絵、凄くよかった」

「ありがとう。でも、どうして、すぐ帰っちゃったの? あたし、葉子が来ないと思って、がっかりしてたのよ」

「だって、久美、みんなに囲まれて嬉しそうにしてたんだもん。なんか、あたし、自分が恥ずかしくなっちゃって‥‥‥」

「何言ってんのよ。立派なピアニストじゃない」

「あたしってね、気が小さいのか知らないけど、すぐ自分に自信がなくなっちゃうのよ。ピアノ弾いててね、今日は最高のできだと思って、自分で満足するの。でも、次の日になってみると、もう駄目、全然、自信がなくなっちゃうのよ。何となく、誰かに笑われてるような気がするの。あたし、モーツァルトが好きでしょ。モーツァルトばかり弾いてるんだけど、やればやる程、難しくなるのよ」

「‥‥‥そう。でも、今日の葉子のモーツァルト、最高だと思うけどな」

「まだまだよ‥‥‥」
第二部 夢のまた夢 28.29.
2007年08月09日(木) 12:47

28




 静寂‥‥‥

 沼をスケッチしている久美子。

 久美子の絵には沼の中央に立ってポーズを取っている娘が描いてある。

 沼を見ると実際に沼の中央に娘が立ってポーズを取っている。ラーラである。今度は可愛い娘に化けている。

 久美子、絵を描き終える。

「もういいわよ。ありがとう」と久美子はラーラにお礼を言った。

「ああ、疲れた。こんなの初めてよ」とラーラは沼の上を歩いて、久美子の方に近づいて来た。

 久美子はラーラに絵を見せた。

「へえ、うまいのね」

「あなた、どこから来たの?」と久美子は聞いた。

「この沼の下よ」とラーラは言った。

 久美子、沼の中を覗いてみる。水は綺麗に澄んでいるが、石や岩が見えるだけだった。

 ラーラは久美子の横にちょこんと座った。

「そこ、面白いの?」

「つまらない。退屈だから出て来たの」とラーラは久美子にもたれ掛かる。

「ねえ、お姉さん」とラーラは久美子の顔を下から覗き込んだ。

「何?」

「あたし、お姉さん、好きになっちゃった」

「そう。それじゃあ、あたしをあんたの国に連れてってよ」

「駄目よ」

「ねえ、行きましょう」

「駄目」

 久美子、ラーラの手を引っ張る。

 ラーラ、久美子の腕に抱き着く。

「どうやって行くの?」

「真ん中に入り口があるの」

 久美子とラーラは寄り添いながら、沼の上を歩いて行く。


モーツァルト:交響曲第41番《ジュピター》







29




 ここは沼の下、ラーラの国。

 のどかな田園を歩いている久美子とラーラ。

 静かに流れるモーツァルトの交響曲『ジュピター』

「モーツァルトね」と久美子は言った。

「今、モーツァルトが流行ってるのよ。あたしが生まれた頃はベートーヴェンだったらしいけど、馬鹿の一つ覚えみたいに、もうずっとモーツァルトばかりやってるわ。ストラヴィンスキーとかバルトークでもやればいいのにね」

「どこから聞こえて来るの?」

「あの丘の向こうよ」

 音楽に合わせて陽気に働いている人々。

 丘を登ると向こうの草原にオーケストラがいた。

 聞いている者は一人もいないが、みんな楽しそうに演奏している。

「あれはこの国のオーケストラ?」と久美子は聞いた。

「さあ、やりたい人がやってるんでしょ」

「ふうん。でも、誰も聞いてないじゃない」

「えっ、みんな聞いてるじゃない」

「だって、誰もいないじゃない」

「何も側で聞かなくても聞こえるわ。みんな、仕事しながら聞いてるのよ」

「そりゃそうだけど、勿体ないじゃない。あんないい演奏してるのに誰もちゃんと聞いてやらないなんて」

「何言ってんの。みんな、ちゃんと聞いてるわよ」

「そうじゃないのよ。あのオーケストラの側にね、椅子を並べて、ちゃんと聞くべきよ」

「へえ、どうして、そんな事するの?」

「どうしてって、音楽って、そうやって聞くもんじゃない」

「変わってんのね。あの人たちは好きで演奏してるのよ。他の人たちだって、自分の好きな仕事をしながら、ちゃんと聞いてるわ」

「あっ、一人いた。ほら、あそこで寝そべって聞いている人」

「ああ、あれ。あれは作曲家よ。まだ一曲も作った事ないけど、毎日、ゴロゴロしてるわ」

「あの人たち、お客さんがいないとすると、どうやって食べているの?」

「畑で働いてる人たちが持って来てくれるわ」

「ただで?」

「この国にはお金なんてないのよ。あの人たちは好きで畑仕事をやってるのよ。取れた作物だって、自分たちだけでは食べきれないでしょ」

「それじゃあ、あの何もしないでゴロゴロしている作曲家もそれを食べているわけ?」

「そう。この国はね、みんなそれぞれ、やりたい事をやってるわけ。みんな、持って生まれた才能っていうのがあるでしょ。それを生かして、やりたい事をやってるのよ。それで、みんな、お互いの事を認めてるの。今は何もしないでいる人も、いつかきっと何かをする。そう信じて、そういう人にも食べ物をやったり、着る物をやったりしてね」

「もし、その人が何もやらなかったら?」

「それはそれでいいのよ。一生、何もしないで生きたとしたら、それも一つの才能じゃない」

「もし、悪い事をしたらどうするの?」

「悪い事って?」

「人の物を盗むとか、人を殺すとか‥‥‥」

「人の物を盗んだりする人はいないわよ。盗む必要ないもの。人殺しはたまあにいるけどね。それは仕方がないじゃない。一種の病気よ」

「法律なんてないの?」

「あったって意味ないでしょ」

「そうね。あったって変わらないわね」

「ああ、つまんない」とラーラは草原に寝そべる。

「ところで、人を殺した人はどうなるの?」と久美子はラーラの隣に座った。

「追放よ」

「どこへ?」

「人間の世界」

「えっ? 嘘でしょ」

「ほんとよ。あそこは病人ばかりでしょ。ここで人を殺した人も、あそこに行ったら、おとなしいもんよ。みんな、結構、真面目にやってるわ‥‥‥ああ、おなか減ったわね。何か食べに行きましょう」

 ラーラは身軽に立ち上がった。

 ボケッとオーケストラを見ている久美子。

 ラーラは久美子の手を引っ張って立たせる。

 二人は丘から下りて行った。
第二部 夢のまた夢 30.31
2007年08月13日(月) 09:42

30




 スピーカーから流れるモーツァルト‥‥‥

 ラーラと久美子はレストランのテーブルに座っている。

 ウェイトレスがワインを持って来て、栓を抜き、二つのグラスに注いで去って行った。

「乾杯!」とラーラ。

 ワインを飲む二人。

「おいしい」と久美子。

「この国の人はお酒が大好きなの。その中でも特にお酒好きの人が作ってるから、うまいのができるのよ」

「うん、うまいわ。でも、その作ってる人、アル中にならないの?」

「アル中になったら、お酒、作れないでしょ。お酒を飲むのも好きだけど、うまいお酒を作るのは、それ以上に好きなのよ」

 ウェイトレスが次々に豪勢な料理を持って来る。

「わあ、凄い。ねえ、これ、みんな、ただなの?」

「そうよ。ここの主人はね、うまい物を人に食べさせるのが好きなのよ」

「でも、こんな凄い料理、ただで貰ったら、何だか悪いような気がするわ」

「いいのよ。喜んで食べてあげれば」

「よし、食べよう」

 二人は料理に食らいつく。

「うまい‥‥‥おいしい‥‥‥」と言いながら久美子は食べる。

「今日のは特別だわ、最高ね」とラーラ。



 食後酒を飲んでいる二人。

「もう、おなか、いっぱい‥‥‥」と久美子は腹を押さえた。

「うん、食べ過ぎた感じね‥‥‥おじさん、おばさん、とてもおいしかったよ」とラーラは調理場に向かって言った。

「そうか、いっぱい食べたかい?」とおやじさんの返事が来る。

「うん、ありがとう」

「いや、また、おいで」

「御馳走様でした」と久美子も言う。

「ねえ、お姉さん、人間の世界って面白い?」

「面白くないわよ。みんな、こせこせとしてるわ。朝から晩まで、お金の勘定よ」

「ふうん。でも面白そうだわ。あたし、人間界に行こうかなって思ってるの」

「やめた方がいいわ。ここの方がずっと楽しいじゃない」

「平和すぎるのよ、ここは」

「一度、向こうで過ごしてみるといいわ。つまらない所だから」

「あたしもそうしたいけど、そうは行かないの。一度、ここから出ちゃうと二度と戻って来られなくなるのよ」

「だって、あなた、地上から戻って来たじゃない」

「あたしはガイドさんなの。今日も人殺しを一人、人間界に連れてった帰りに、お姉さんに出会ったの。でも、仕事だから帰って来られるけど、あたしがもし、向こうでしばらく遊んでいたら、もう帰って来られなくなるわ」

「へえ、あなたが人殺しを人間の所まで連れて行くの」

「そうよ。こんな仕事をしてなかったら、あたしだって、人間界に行きたいなんて考えもしなかったわ。でも、何回と行ったり来たりしてるうちに、何となく、あっちの方があたしに合ってるような気がして来たのよ」

「ふうん‥‥‥でも、あなた、好きでガイドさんになったんでしょ」

「そうよ。みんなは人間界っていうと気違いの集まりだとか、悪人ばかりだとかって言うけど、あたしは何となく興味があったのね。それでガイドになったんだけど、一度、あっちの世界を知っちゃうと、ますます、あっちに住みたくなるの。あたしの運命なのかしら‥‥‥人間になるのが」

「あなたなら、人間の世界に行っても大丈夫だと思うけど、一体、何するの? ここと違って、お金を稼がないと食べて行けないわよ」

「それは簡単よ。お金なんか、この体があれば、たっぷりと稼げるって聞いたわ」

「そりゃ、そうだけど。確かに、体があれば稼げるけど、あんた、自分の体を売るの?」

「うん。あたし、アレ、好きだもん。男の人を喜ばせてあげて、あたしもいい気持ちになって、お金、貰えるなんて最高じゃない」

「こんちわ」と赤ら顔の男が酒樽を抱えて店内に入って来た。酒造りの名人、六さんである。

 調理場から、太ったおかみさんと主人が出て来る。

「やあ、六さん、御苦労さん」と主人は六さんを迎えた。

「新しいのができたらしいね」

「ああ、今度のは最高だぜ」と六さんは胸を張った。「胃袋がとろける程の代物だぜ」

「おっちゃん」とラーラが声を掛けた。「さっきのワインもうまかったよ。今度のは何?」

「今度のは泡盛だ。おめえら娘っ子にはちょっと強すぎるな」

「ちょっと飲ませてよ」とラーラはせがむ。

「飲むか? 腰が抜けても知らねえぜ。旦那、ちょっとコップ、貸してくんな」

 ウェイトレスがみんなのコップを持って来る。

 コップに泡盛を注ぐ六さん。

「さあ、飲んでくれ」

「いただこうか」と主人が言った。

 みんなは泡盛を飲む。

「かあ、強い!」とラーラは眉を寄せた。

「うん、こいつはうめえや」と主人はうなづいた。

 満足そうに、みんなの顔を見ている六さん。

「ありがとうよ、六さん」とおかみさんはニコニコしながら言った。

「いや、いや、みんなが俺の酒を飲んで、いい気持ちになってくれりゃあ、俺は嬉しいんすよ」

 幸せそうな六さんの顔を見ている久美子。


忠孝5年古酒 南蛮荒焼一升甕







31




 街の中を歩いているラーラと久美子。

 両側には店が並んでいる。どの店も手作りの物しか置いてない。

「ねえ、あれ、みんな、ただなの?」と久美子は聞いた。

「そうよ」

「信じられないわ」

「欲しい物があったら、どんどん貰いなさいよ。店の人も喜んでくれるわ」

「そうね‥‥‥」

 店を覗きながら歩く久美子。

 筆が置いてある店がある。

「ここの筆は最高よ。貰って行ったら」とラーラは言った。

「どうぞ、お好きなのを選んで下さい」と店の人も言った。

「そうね」と久美子は筆を手に取って見る。そして、書道用の太筆を一本、選んだ。

「これ、いただいていいかしら?」

「どうぞ、どうぞ」と店の人は喜んで言った。

「どうもありがとう」と言って久美子は去ろうとするが、「あっ、そうだ」と言って引き返す。スケッチブックの中から一枚の風景画を切って店の人に渡した。

「お礼に、これ貰って下さい」

「ほう」と言って店の人は久美子の絵を見た。「絵画きさんでしたか‥‥‥それでは、この筆を使って下さい」と奥の方から木箱に入った筆を出して来た。

「これはわたしの自慢の筆です。ぜひ、これで絵を描いて下さい」

「えっ、いいんですか? こんな素晴らしい筆を‥‥‥」

「ええ、あなたに貰っていただきたいんですよ。これだけの絵を描くあなたに使って貰えるなら、わたしもその筆を作った甲斐があるってものですよ」

「ほんとにどうもありがとうございました」

「こちらこそ、この絵は大切にしますよ」と店の人は心から喜んで、久美子の絵を大事そうに奥の方に持って行った。

「よかったわね」とラーラは笑った。

「うん‥‥‥」と久美子はなぜか感動していた。

「見て、あれも凄いでしょ」とラーラは大理石の彫刻がずらりと並んでいる店を指さした。

「うん‥‥‥」

 店に並べてある作品に驚きながら見て歩く久美子。

「みんな凄いわね。これ全部、手作りなんでしょ」

「そうよ」

「素敵だわ。何にもわずらわされないで、自分の好きな事だけやっていればいいなんて‥‥」

「でもね、なかなか大変なのよ。みんな初めから、ああいう事をやってたんじゃないわ。色々な事をやってみて、やっと、自分が本当にやりたいっていうものを捜し出したのよ」

「でも、食べ物の心配しなくていいんだから、楽じゃない」

「そりゃあ、食べ物も着る物もみんな、ただよ。レストランに行けば、たとえ、自分が何もしないでブラブラしてても、喜んで、うまい物を食べさせてくれるわ。でも、それが毎日、続いてごらんなさい。とても耐えられないわ。自分も何かをしなくちゃって気になるのよ。そして、何かを始めたら、もう真剣よ。自分との戦いなのよ。自分が納得するまで続けて行くの」

「そうね。あたしもさっき感じたわ。こんないい筆を貰っちゃって、もっと、いい絵を描かなくちゃってね」

「そうでしょ」

 街はずれまで来る二人。

 田園が広がっている。

「どこ行くの?」

「保育園」

「保育園?」
第二部 夢のまた夢 32.33.34
2007年08月14日(火) 10:29

32




 庭で子供たちが遊び回っている。

 砂場では二歳位の小さな子供たちが数人、遊んでいる。

 ベンチに腰掛けて、子供を見ているラーラと久美子。

「あんた、いくつなの?」と久美子はラーラに聞いた。

「十八よ」

「へえ、十八でもう子供がいるとはね。驚いたわ」

「仕方がないじゃない。天からの授かり物だもん」

「それで、お父さんは?」

「わからない」

「わからないって?」

「誰だかわからないのよ。別に誰でもいいのよ。まだ、男と一緒に暮らしたいとは思わないし‥‥‥」

「いい加減ね‥‥‥」

「あたし、困ってんのよね。あの子がいなければ、あたし、もう、さっさと人間の国に行っちゃうんだけど‥‥‥」

「でも、子供の事は大丈夫なんでしょ。ここで面倒を見てくれるし」

「そりゃ大丈夫だけど、もう二度と会えなくなっちゃうじゃない」

「そうか‥‥‥難しいわね」

「毎日さ、今日こそは子供に別れを告げて、この国から出ようと思って来るんだけど、あの子に会うと出られなくなっちゃうのよ。かと言って、さよならも言わないで黙って出て行けないし‥‥‥」

「いっそ、子供も一緒に連れてったら?」

「そんな事できないよ。あの子の人生はあの子のものだよ。あたしが勝手にそんな事できない」

「そうね‥‥‥」

 二歳の子供がよちよちとラーラの所に来た。

「お母ちゃん、ちょっと来て」と子供はラーラの手を引っ張って砂場の方に行く。

「見て」と子供はラーラを見上げて言った。

「なあに、これ?」とラーラはしゃがみこんで、子供が作ったものを見ている。そして、二人は遊ぶ。

 久美子はラーラと子供を見ている。





夕焼け



33




 夕焼け。

 たんぼの中の道を久美子とラーラが歩いている。

「あ〜あ、いやんなっちゃうな」

「可愛い子供じゃない」

「可愛いから余計よ。あ〜あ」

 道端の木陰で男と女が抱き合っている。

 久美子は見ない振りをする。

 ラーラは楽しそうに見る。

「何だ、三公じゃない」とラーラは言った。

 三公と呼ばれた男は女を抱きながら顔を上げた。

「よう、ラーラか。また、子供に会って来たのか?」

「うん‥‥‥どこの娘?」

「いい玉だろ。隣村の女だよ。見ろよ、このでっけえおっぱい。おめえの倍はあるぜ」

「そんなのでっかけりゃいいってもんじゃないやい」

「誰だい?」と三公は久美子の方を見る。

「誰でもいいだろ」

「紹介しろよ」

「やだよ。この人は特別なんだ。お前の腐れチンコ入れられたらたまんないよ」

「何を言ってやがる。おめえのマンコこそ腐ってるんじゃねえのか。子供ができてから、男が怖くなったってえじゃねえか。最近はレズってばかりいるんだろう」

「うるさい、馬鹿!」

 ラーラ、プイと三公に背中を向けて歩きだす。

 久美子はラーラの後を追った。

 三公はまた女に熱中し始める。





酔中画1-742



34




 ラーラの家。

 ラーラが裸でポーズを取っている。

 久美子、ラーラのヌードを描いている。

「どう、あたし、子供、産んだ体に見える?」

「全然、見えないわ」

「そう、それじゃあ大丈夫ね。あたし、この体で食べて行けるわね?」

「食べて行けるけど、他にないの? 何も体を売る事もないでしょ」

「だって、人間の国には子供が生まれないようにするお薬があるんでしょ」

「あるわ。でも、体によくないわ」

「子供さえできなけりゃ、もう、男なんて怖くないわ」

「できたわ、ほら」と久美子はラーラに絵を見せる。

「これ、ほんとにあたし?‥‥‥綺麗‥‥‥」

「そうよ。とても綺麗よ。勿体ないわよ。その体をくだらない男に売るなんて。どうせ売るんなら凄く高く売りなさい。それも、ただの男じゃなくて、その男の子供を産んでみたいと思うような男にね」

「うん、そうするわ。ありがとう」とラーラは久美子に抱き着いた。

 ラーラ、久美子の目を見つめる。

「あたし、お姉さん、大好き」

 ラーラ、久美子にキスする。

 ラーラ、久美子の服を脱がそうとする。

「ちょっと待ってよ。あたし、女の子と寝るの、初めてなのよ‥‥‥恥ずかしいから、電気、消して」

「いいわ」とラーラは電気を消した。

 服を脱ぐ音。

 二人がもつれ合う音。
第二部 夢のまた夢 35.36.37.
2007年08月16日(木) 13:36

35




 いつの間にか、冬が来て、山々は雪化粧している。

 酔雲の山小屋にも庭にも雪が積もっている。

 山小屋の中では久美子がコタツに入って絵を描いていた。

 側には一升瓶が立っている。

 恋人、浩二の顔を描きあげ、しばらく見つめている。そして、上の空白に馬鹿と大きく書き、茶碗酒をあおった。


雪景色







36




 街の中を買物袋を抱えた久美子が鼻歌を歌いながら歩いて来る。

 アパートの階段を上り、ある部屋の前に立ってノックをした。

 返事はない。

 ドアを開ける久美子。

 部屋の中の空気は濁り、タバコの煙がこもっている。

 畳の上には原稿用紙や紙クズ、食い物のカスなどが歩く隙間もない程、散らかっている。

 隅の方のテーブルの前に座り込んで、浩二はペンを走らせていた。

 入口に立ったまま、唖然としている久美子。

「汚ないなあ。まるで、ゴミ溜めじゃない」

 久美子は買物袋を置くと部屋を横切って窓を全開にした。そして、浩二の後ろから原稿用紙を覗き込んだ。

「どんな話?」

「ああ」

 久美子は浩二の文章を見ている。

「ねえ、あたしのあの絵、入賞しちゃった」

「ああ」

「ねえ、あたしの絵、賞を取ったのよ」

「うん?」

「ねえったら」と久美子は浩二の肩を揺すった。

「何だよう」

「ちょっと休憩、あたしの話、聞いて」

 浩二はペンを置いて伸びをする。

「やあ」と久美子の顔を見つめた。

「どうしたの?」

「お前、また綺麗になったな」

「何よ‥‥‥」

「会いたかったんだよ‥‥‥悪いけどな、掃除してくれよ。それと腹も減った」

「馬鹿!」

「賞を取ったんだって、よかったな」

「うん」

「俺、ちょっと、風呂に行ってくらあ」と浩二は頭をかきながら立ち上がった。

「汚ねえなあ」と自分の部屋を見ながら言うと手拭いをぶら下げて出て行った。

 一人残される久美子。

「何よ、あれ。あたしを何だと思ってんの、ばか、バカ、馬鹿!」

 ブツブツ言いながらも久美子は掃除を始めた。



 綺麗に片付いている部屋で、テーブルに向かい合って久美子と浩二はウィスキーを飲んでいる。テーブルには久美子の手料理が並んでいる。

 浩二はうまいうまいと言いながら、食べたり飲んだりしている。

「先生もあたしの絵、褒めてくれたのよ」

「ふうん」

「いつも文句ばかり言ってた先生がね、あの先生が褒めるなんて本当に珍しいって、みんなも言ってたわ」

「そんなに嬉しいか?」

「何が?」

「先生に褒められてさ」

「そりゃ嬉しいわよ。絶対に人を褒めたりしない人だもん」

「ふうん‥‥‥もう、やめるんだな。その先生、大した先生じゃねえよ」

「あんた、知らないのよ。凄い絵、描くんだから」

「そりゃあ凄い絵を描くだろう。でも、もう、お前は賞を取ったんだし、もう、その先生に教わらなくてもいいんじゃねえのか。お前の絵は確かにうまいよ。けど、ただ、うまいだけだ」

「どうしい意味よ、それ」

「賞を取ったっていう事自体、もう、ある一つの型にはまったっていう事だぜ。これからもずっと、その先生について教わっていれば、何回か賞を取る事はできるだろう。でも、それじゃあ相変わらず、うまいだけの絵だ。お前の絵じゃない」

「あれはちゃんとあたしの絵よ。先生から教わったって言ったって、絵なんて教えられて描けるようなもんじゃないわ。あれはちゃんとあたしの絵よ」

「違う。あれは賞を取るお手本みたいな絵だ。こういう感じで、こういう風に描けば賞を取れるっていうのを忠実に守って描いたような絵だ」

「違うわ、絶対に。あれはあたしが感じた通りに描いた絵よ。何よ、自分よりも先に、あたしの方が賞を取ったからって、人を馬鹿にしないでよ」

「馬鹿になんてしてやしないよ。俺はお前のために言ってるんだ」

「ふん。誰が何と言ったって、あれはあたしの絵。あたしの実力で賞を取ったのよ」

「そうか、あめでとう。乾杯でもしようぜ‥‥‥どうしたんだ、ふくれたりして?」

 浩二は久美子のグラスと自分のグラスにウィスキーを注いだ。

「ほら、機嫌を直せよ。可愛い顔が台なしだろ」

「馬鹿!」

「乾杯!」


アードベッグ10年







37




 コタツに入ったまま、久美子は顔を両手の中に埋めて眠っている。

 両手の下のスケッチブックには浩二の顔、上に馬鹿、その横にスキと書いてある。

 窓の外では雪が静かに降っている。
第二部 夢のまた夢 38.39.
2007年08月18日(土) 11:49

38




 雪の積もった山道を久美子がスケッチブックを抱えて歩いている。

 崩れかけた山寺に来る。

「仙人の爺さん、いる?」

「ああ」と中から眠そうな返事がした。

 久美子は寺の中に入って行った。

 仙人は大きな火鉢を抱くようにして酒を飲んでいた。

「寒いのう」と仙人は久美子の顔を見て言った。

「うん」と久美子は火鉢にあたった。

「どうした、男が恋しくなったのか?」

「冗談じゃないわ」

「わしの太竿もまだまだ使えるぞ。試してみるか?」

「すけべじじい」

「いつまで、こんな山ん中にいるつもりじゃ。そろそろ、恋人が恋しくなったんじゃろう」

「うるさいな。男の事なんか考えちゃいないよ」

「そうかな。お前の顔に好きなあの人に抱かれたいって書いてあるぞ」

「馬鹿、くそじじい。今のあたしはそんな気分じゃないの」

「まだ、くだらん絵の事なんぞ考えてるのか?」

「くだらなくないわよ。一番大事な事よ」

「くだらんね‥‥‥お前、北斎と会って来たんじゃろ。奴はどんな絵を描いてた?」

「あの人は何でも描いてたわ。興味の引かれるものは片っ端から」

「そうじゃ、それでいいんじゃよ。描きたい物を描きたいように描けばいいんじゃ」

「それが描けないから悩んでるんじゃない」

「ふん。まあ、酒でも飲め」

「うん」

 茶碗に酒を注ぐ仙人。

 酒を飲む久美子。

「わっ、強い。何これ、焼酎じゃない」

「そうじゃよ。こう寒くちゃ、普通の酒じゃ、すぐ醒めちまう。どうじゃ、うまいじゃろう」

 久美子、もう一度、飲む。

「うん、うまい‥‥‥ねえ、仙人さん、酔雲先生に会わせてよ。今、どこにいるのか知らないけど、あんたならわかるでしょ。ね、会わせて」

「無駄じゃよ」

「ね、会わせてよ。どうして、ああいう絵が描けるのか、知りたいの」

「無駄じゃよ」

「どうして、無駄なのよ」

「今のお前が酔雲に会った所で、酔雲からつかめる物は何もない。余計、悩むだけじゃ」

「それじゃ、あたし、どうしたらいいのよ」

「だから言ったろう。自分の描きたい物を描きたいように描けばいいんじゃよ」

「それが、できないの」

「お前は考え過ぎるんじゃ。もっと、素直に描けばいいんじゃ。技術とか配色とか構図とかはどうでもいいんじゃよ。今までに、お前が習って来た事はすっかり忘れ去るんじゃ。何もかも忘れた状態で描きたい物を描きたいように描けばいいんじゃ。そうすれば、お前が持っている技術やら色感やら構図なんてもんは自然と絵に出て来る。わかるか? お前はわざと、ここの所はこうしよう、ここの色はああしようなどと考えながら描いているから描けなくなるんじゃよ。もっと素直になって、自然に描けばいいんじゃ。何も考えずに感じた通り、そのままにな」

 久美子は考えている。

「もう、絵の事なんか考えるな。心をもっと素直にすれば、いい絵が描ける」

 久美子は考えている。

「まあ、焼酎でも飲んで、体の中の余計な物はみんな洗い流せ」

 うなづく久美子。焼酎を一息に飲む。そして、むせる。

「わあ、喉が焼けそう」

 笑う仙人。

 久美子も笑う。

「おっ、また、ちらついて来たな」と仙人は外を見て言った。

「雪見酒ね」と久美子も外を見た。

「最高じゃな。雪が降る。酒がある。そして、お前もいい女じゃ」

 雪を見ながら酒を飲む二人。

「どうじゃ、今、一番、何がしたい?」と仙人は久美子の顔を覗いた。

「浩二に会いたい」

「うん。それでいいんじゃ‥‥‥ほら、どんどん飲め」

 仙人はいい気持ちになって古い演歌をうなり始めた。

 久美子も手拍子をしながら一緒になって歌った。

 外では雪がチラチラ舞っていた。


芋焼酎 霧島特別蒸留(超限定品)40度







39




 山小屋の中で久美子は村の娘たち、春子、加代、幸子と一緒になって絵を描いている。

 四人はコタツに入って、それぞれ、隣の人の顔を描いている。

 春子が加代の絵を覗いて、「やだ」と言った。「あたし、こんな顔してないじゃない。何よ、そのすけべったらしい口は」

「実際、すけべったらしい口してるじゃないの」

「どれ」と幸子も加代の絵を覗いた。「ははは、そっくりよ」と今度は春子の絵を覗いた。

「何よ、これ、下手くそ、まるでブタじゃない」

「しょうがないでしょ。あんたがブタに似てるんだもん」

「言ったわね。何よ、骨と皮のくせに。女のくせして、おっぱいなんて全然ないじゃない」

「言ったわね」と春子は幸子の髪を引っ張った。

「やめなさいよ」と加代は二人を引き離す。「今、絵の勉強してんのよ」

「うるさい、チビ」と幸子は久美子の絵を覗いた。「ははは、そっくり」と笑い転げる。どれどれと春子と加代も久美子の絵を覗いた。春子も腹を抱えて笑った。

「何よ、先生、あたし、こんな顔、してないわよ」と加代は怒った。

「みんな、静かにしなさい」と久美子は叱った。

 三人娘は静かになった。

「みんな、真剣に相手の顔を見て描いたんでしょ。それなら、それでいいのよ。似顔絵を描いてるんじゃないんだから、写真みたいにそっくりに描かなくてもいいのよ。自分が感じた通りに、そのまま描いていけばいいの。みんな、ちょっと見せて」

 四人は自分が描いた絵を前に出した。

「みんな、うまいわよ。どこかしら似てるじゃない。(幸子の絵を見て)あなたはもっと自信を持って、大きく力強く描いた方がいいわ。(加代の絵を見て)あなたは小さい所に細かすぎるわ。もっと全体的に見て、まとめた方がいいわよ。(春子の絵を見て)あなたの絵はおおらかでいいけど、ちょっと雑すぎるわ。もっとよく見て、丁寧に描いた方がいいわ」

 三人娘はおとなしく久美子の話を聞いている。

「やっぱり、先生はうまいわ」と春子は言った。「よく見ると、加代ちゃん、そっくりよ」

「うん、そっくりね」と幸子も言う。

「そうかなあ‥‥‥」と加代。

「でも、加代ちゃんもうまいわ。その男欲しそうな口なんか、春ちゃん、そのものよ」

「何言ってんのよ。男が欲しくて追いかけ回してるのは、お前じゃないか。男の顔見ると色目使って、いやらしいったらありゃしない」

「いつ、あたしが色目なんか使った?」

「いつもよ」

「自分こそ何さ、この寒いのに、似合いもしないのに、男の気を引こうと思って、そんなミニなんかはいちゃって‥‥‥露出狂」

「よしなさいってば、すぐ喧嘩するんだから。二人とも、男の話しかできないの」

「あんな事言ってるわよ」

「次郎さん、次郎さんて、次郎の後ばかり追いかけてるのは誰でしたっけ?」

「ね、あんなにやけた男のどこがいいのかしらねえ」

「にやけてなんかいないわ」

「この間、次郎、先生の事、好きだなんて言ってたわよ」

「そうそう、夜這いに行くって言ってた。先生、来なかった?」

「来たわ」

「ほんと?」

「うん。でも、すぐ帰ったみたい」

「先生、うちの中、入れたの?」

「入れないわよ。戸締まりして寝てたわ」

「先生があんな小僧っ子、相手にするわけないでしょ」

「ほんと?」

「大丈夫よ。中に入れないので諦めて帰って行ったわ」

「加代ちゃん、しっかり次郎を捕まえとかなきゃ駄目よ」

「次郎の奴、先生の所に来るなんて‥‥‥先生、今度、次郎が来ても絶対に相手になんかしないでね」

「博もね」

「えっ、博? 春ちゃんのお目当ては博だったの?」

「そうよ、悪い? 幸ちゃんは誰なのよ。白状しなさいよ」

「そうよ、言いなさいよ」

「あたしはね‥‥‥○○○よ」

「えっ、聞こえないわ、誰?」

「和雄」

「えっ、あのガリ勉‥‥‥へえ‥‥‥」

「いいじゃない」

「そりゃいいわよ、誰を好きになろうとね。でも、可哀想ね。相手にされないなんて‥‥」

「自分だって、そうじゃないのよ」と幸子と春子はまた喧嘩を始めた。やめさせようとする加代。

 三人を楽しそうに見ている久美子。
第二部 夢のまた夢 40.41.42.
2007年08月19日(日) 12:41

40




 今日はいい天気。

 太陽の光を浴びて、積もった雪が光っている。

 鼻歌を歌いながら洗濯物を干している久美子。

 久美子と同じ歌を歌いながら誰かが山に登って来る。

 久美子は首を傾げながら声のする方を見ている。

 浩二がのんびりと歌を歌いながら、スダブクロを肩からぶら下げて登って来る。

「あっ!」

 浩二は久美子の顔を見ると嬉しそうにニコッと笑った。

 荷物を放り出して、久美子の方に駆け寄ると久美子に抱き着き、抱き上げ、久美子をグルグル回した。

 久美子を降ろし、抱き合ったまま、見つめ合う二人。

 何も言わず、嬉しそうに笑う二人。

 キスする。


キスへのプレリュード







41




 山の頂上で久美子と浩二は岩に腰掛け、村を見下ろしている。

「作品はできたの?」

「うん、できた‥‥‥お前、いつまで、ここにいるんだ?」

「あたしがいないと淋しい?」

「ああ、淋しいよ」

「ふうん‥‥‥でも、もう少し我慢して」

「先生が帰って来るまでいるつもりか?」

「ううん。もう、先生には会えなくてもいいの。でも、もう少し、ここにいたいなって思ってるの」

「そうか‥‥‥」

「あなたはどうするの? あなたもここにいない?」

「いてもいいのか?」

「うん、いてほしい」

「へえ、随分、素直になったもんだな」

「こういう自然の中にいると素直になっちゃうのよ」

「そうか。それじゃあ、俺も山の中に籠もるかな」

「それがいいわよ」

「そうしたいんだがな、俺は京都に行くよ」

「えっ、京都?」

「うん」

「次の作品、考えてるの?」

「ああ、取材だ」

「そう‥‥‥」

「悲しそうな顔をすんなよ。すぐ、行くわけじゃない。二、三日、ここでのんびりするよ」

 久美子はニコッとして浩二に寄り添った。








42




 久美子はコタツに入って熱心に絵を描いていた。コタツの回りには描いた絵が散らかっている。

「お久美さん、いるかい?」と寅吉爺さんの声がするが、久美子は気づかずに絵を描いている。

「お久美さ〜ん」と寅吉爺さんはもう一度、呼んだ。

「はい」と久美子は気づき、立ち上がって入口の方に行く。

 寅吉爺さんが酒とつまみを持って入って来た。

「やあ、今日は大分、ぬくくなった。そろそろ春じゃな‥‥‥随分、散らかっとるな」

「ええ、ちょっと熱中しすぎちゃって‥‥‥今、片付けます」と久美子は散らかっている絵を片付ける。

「なに、いいんじゃ、いいんじゃ」と寅吉爺さんは部屋に上がってコタツに入る。「先生もいつも、こんな風じゃった‥‥‥その先生から手紙が来たよ」

「えっ!」

「今、沖縄にいるそうじゃ。暖かくなったら帰ると書いてあった。わしもさっそく返事を出して、あんたの事を書いてやったから、もうすぐ帰って来るじゃろう」

「そうですか。先生は今、沖縄ですか」

「うん。あっちは暖かいそうじゃ。それと泡盛がうまいと書いてあった。毎日、泡盛を飲みながら三味線と一緒に尺八を吹いてるそうじゃ。あの先生は酒が好きじゃからな。そして、酒を飲むと気安く、ほいほいと絵を描いてくれる。ほんとに面白い人じゃ」

 久美子はコタツの上を片付けて、酒を飲む用意をした。

「あんたがここに来て、もう、どの位じゃ?」

「もう五ケ月です」

「そうか。もう、そんなになるか。もうすぐ半年じゃな‥‥‥こんな山の中によく半年もいられたもんじゃ」

「色々と勉強になりました。本当に来てよかったと思っています」

「そうか。そいつはよかった。村の者もみんな、あんたの事を褒めておる。娘たちはもう、みんな、あんたの事を先生、先生と言って、何でも相談に来るらしいの。若い者が集まりゃ、みんな、あんたの噂をしとる。あんたっていうのは不思議な人じゃ」

 酒を飲んでいる久美子と寅吉爺さん。

「まったく、不思議じゃ。女が酒を飲むというのは何というか、わしゃ、あんまり好かんのじゃが、あんたと一緒に酒を飲んでいても、不思議とそういう気がせん。ごく自然じゃ。そして、あんたと酒を飲んでると何だか楽しいんじゃ。先生と飲んでいても、わしゃ楽しくなるが、何か同じような気分になるんじゃよ。不思議じゃのう」

 久美子は楽しそうに寅吉爺さんの話を聞きながら酒を飲んでいる。

「こんばんわ、先生、いますか?」と外で声がした。

「誰じゃ?」と寅吉爺さんは言った。

 入口から次郎と博が入って来る。

「何じゃ、お前ら、揃って夜這いか?」

「そんなんじゃねえよ、なあ」と次郎は言った。

「ああ、先生にちょっと相談があってな」

「そんな所にいねえで上がれ」

 次郎と博、久美子に頭を下げてから上がり、コタツに入った。

 久美子は茶碗を二つ持って来る。

「先生に相談て何じゃ?」

「いえ、その‥‥‥」と次郎。

「はっきりせんか」

「うん。春子と加代の事なんだよ」と博が言った。

「何じゃ、女の事か」

「うん、最近、あの二人、やけに冷てんだよ、なっ」と次郎。

「うん」と博はうなづいた。

「馬鹿か、おめえら、てめえの女の事を先生に相談してどうするんだ?」

「そんな事言ったってさ‥‥‥」

「まったく、だらしねえ。話んなんねえ」

「先生、あの二人に何か言ったんじゃねえのか?」

「ええ、言ったわよ。二人とも、あたしんとこに夜這いに来たって」

「何だと、おめえら、お久美さんに夜這いだと」

「夜這いなんかじゃねえよ」と次郎。

「俺だって、体よく追っ払われたんだ」と博。

「当たりめえだ。おめえらのような情けねえ男なんか、お久美さんが相手にするか」

「先生、他に何か言わなかった?」

「何も言わないわよ。あんたたちこそ、くどくどと言い訳でもしたんじゃないの?」

「そりゃあしたさ。そりゃあもう、おっかねえ顔して詰め寄るんだもんな」

「馬鹿め。言い訳だと? 男たるもの、言い訳なんかするな。情ねえなあ、まったく。てめえの女が思い通りにならねえからってんで、それを人のせいにして、おめえら、それでも男か? キンタマぶら下げてんなら、もっと、しゃきっとしろ、しゃきっと。女の顔色なんか、いちいち窺ってねえで、もっと、でんと構えてろ、わかったか?」

「へえ」と次郎。

「おめえは?」

「うん、わかったよ」と博。

「わかったら、さっさと帰れ!」

 もじもじしている二人。

「けえれ!」

 二人は立ち上がり、こそこそと出て行った。

「まったく、近頃の若え者はだらしがねえ。娘っ子の方がよっぽど、しっかりしてらあ」

 久美子は笑っている。

「寅さんの若い頃はどうだったんです?」

「わしか、わしの若え頃は‥‥‥まあ、似たようなもんだ。人間なんて、昔も今も大して変わっちゃいねえ。みんな、同じような事をして、わしのようなじじいになっていく。偉そうな事を言ったって始まりゃしねえ。みんな、おんなじ人間じゃ。だが、あんたは偉えよ」「何言ってんです。あたしだって、ただの女よ。あたしがこの山に来たのは、本当は絵なんかどうでもよくて、ただ、変なやきもちを焼いて、むしゃくしゃしてただけなんです」

「そういえば、あんたの彼氏、今、どこにいるんだろうな」

「さあ、京都の女でも引っかけてんじゃない」

「ふむ、あの男もちょっと変わった男だな」

「大分、変わってるわ」

「あんたも変わってるし、似た者同士だな」

 笑う久美子。

 ニコニコしながら酒を飲む寅吉爺さん。
第二部 夢のまた夢 43.44.45.
2007年08月23日(木) 10:58

43




 春が来た。

 どこに来た?

 この山にも来た。新緑の山々が喜んでいる。

 スケッチブックを持って、久美子が鼻歌を歌いながら歩いて行く。

 壊れかけた山寺の前。

「仙人さん、いる?」と声をかけ、久美子は中を覗いた。

 返事はない。

 一升どっくりが床に転がっているだけである。

 久美子は中に入って、とっくりを立てた。



 山の頂上。

 久美子は村を見下ろしている。

 桜が咲き始めている。

 子供たちが元気に遊んでいる。

 村人たちは田畑で働いている。

 後ろに人の気配を感じて、久美子は振り返った。

 仙人がとっくりを下げて、ニコニコしながら立っていた。

「そろそろ、帰るか?」と仙人は言った。

 久美子はうなづいた。

 仙人もうなづいた。

 二人は村を見下ろしている。



 山の中の沼。

 久美子は新緑に囲まれた静かに澄んだ沼を見つめている。

「さよなら」と小さく呟いた。


SAKURA STAMP / 矢野沙織







44




 夕方、久美子が帰って来る。山小屋に入ろうとして中を見ると、ラーラがコタツに入って待っていた。

「あんた‥‥‥」と久美子はラーラを見つめた。

「とうとう、逃げて来ちゃった」とラーラは笑った。

「本当に人間になるつもり?」

 ラーラはうなづいた。

「子供の事は大丈夫なの?」

「気になるけどしょうがないわ。ちゃんと子供には話して来たわ」

「そう‥‥‥」

「あの子もわかってくれたみたい。あたしの話を聞きながら、目に涙を溜めて、じっと、あたしの顔を見てたわ‥‥‥あたし‥‥‥大丈夫よ‥‥‥あの子‥‥‥」

「そう‥‥‥」

 久美子はコタツに入った。

「まだ、寒いわね」

 ラーラは涙をふいて、久美子に笑いかけた。

「それで、これからどうするの?」

「とりあえず、お姉さんについて行く。だって、人間の習慣とか、あたし、何も知らないでしょ。色々と教わらなくちゃ」

「あたしなんか、何も教えられないわよ」

「いいのよ、あたし、お姉さん、好きだもん」

「しょうがないなあ」

「いいでしょ、ね、あたし、お姉さんの妹よ。ね、いいでしょ」

「ええ‥‥‥いいわ」

「よかった」

 喜ぶラーラ。

 無邪気なラーラを見ている久美子。自然と笑ってしまう。


ガーシュウィン / ラベック姉妹







45




 電車を待っている久美子とラーラ。

 見送りに来た寅吉爺さん、加代、春子、幸子、次郎、博。そして、村の人たちも何人か来ている。

「残念じゃな」と寅吉爺さんは言った。「もう少し待てば、先生も帰って来るのにな」

「先生もよろしくお伝え下さい」

「ああ」

「元気でね、先生」と加代が言った。

 うなづく久美子。「皆さん、色々とありがとうございました」

「それはこっちが言う事よ」と春子は言った。「先生、あたしたちの事、忘れないでね」

「忘れないわ、一生。この村の事、そして、みんなの事、絶対、忘れないわ‥‥‥」

「また、いつか来てね」と幸子が言った。

 うなづく久美子。

「元気でな、先生」と次郎は言った。

 うなづく久美子。

「みんなも仲良くね」

「来たぞ」と博。

 電車がホームに入って来た。

 久美子とラーラは電車に乗る。

「‥‥‥」と寅吉爺さんは久美子の顔を見つめた。

 久美子はうなづいた。

 みんなも何も言わず、久美子を見ている。

 久美子も何も言わず、みんなを見ている。

 ベルが鳴り、ドアが閉まり、電車がゆっくりと走り出した。

 手を振る久美子。

 手を振るみんな。

 電車と共に駆け出す三人娘と次郎と博。

 ホームの端まで来て手を振る五人。

「せんせえ〜」

 電車は新緑の中を、光の中を走り去って行った。
第二部 夢のまた夢 46.
2007年08月23日(木) 12:04

46




 ‥‥‥というわけで、あたしはしばらく人間に化けて、お姉さんと一緒に暮らしていたのよ。

 あたしが何してたと思う? 体を売ってたんじゃないのよ。

 人間の世界って不思議な所ねえ。あたしね、初めの頃はお姉さんの所で絵の勉強してたの。とにかく、何でもかんでも、お姉さんの真似をしてたのよ。

 ある日ね、お姉さんの友達たちと一緒にディスコってとこに行ったの。調子のいい音楽が流れててね、みんなが踊ってるのよ。踊りなんていったら、あたしの一番得意なもんじゃない。あたし、思いっきり踊ったわ。

 リズムに乗ってステージ狭しと踊りまくってやったの‥‥‥そしたら、知らないうちに誰もいなくなっちゃったのよ。あたし、戸惑っちゃったわ。人間の習慣なんて知らないから、もう踊っちゃ駄目なのかなって思って、あたしもやめて、みんなの所に行こうとしたの。そしたら、みんなが、「踊れ、踊れ」って言うのよ。

 あたし、どうしたらいいかわからないから、お姉さんに聞いたら、「すごくいいから、踊って」って言うじゃない。

 人間たちが何を考えてるんだかわからなかったけど、あたし、一人でまた踊っちゃった。みんな、あたしの踊りを見て、拍手したりしてくれたわ。それからはもう大変よ。みんながあたしに踊りを教えてって次々に来たわ。そして、みんな、あたしの真似して踊るのよ。

 人間て面白いのね。何で、あたしの真似なんかするんだろ。みんな、踊りたいように踊ればいいのにね‥‥‥あたし、いつの間にか、踊りの先生になってたわ。

 最初はああいうディスコみたいなの教えてたの。でも、ある時、日本舞踊っていうのを知ったのよ。あたしって、ああいう着物姿って好きなのよね。やっぱり綺麗だもん。それで、日本舞踊を始めたわ。あれはほんと、うまくできてるわ。無理な動きが全然ないのね。まったく、自然な動きだわ。あたしの得意とする所よ。でも、あたしは人の真似するのは嫌いだから、自己流にどんどん踊りを作っちゃったわ。そしたら、新しい日本舞踊だって、また、お弟子さんが増えちゃった。

 そんな風にして毎日、踊りをしてたんだけどね、やっぱり飽きちゃった。お姉さんは浩二さんと一緒になっちゃって、あたしとあまり遊んでくれなくなるし、つまらなくなっちゃったから、あたし、外国に行って踊りの勉強して来るって言ってね、ここに帰って来ちゃったのよ。久し振りにのんびりできるって感じだわ。

 どうして人間て、毎日ああやって動き回ってるんだろ?

 でも不思議ね。ああいう世界に入っちゃうと、あたしまで何だかんだって動き回ってたわ。みんな、狭い自分だけの世界に閉じこもって、他の世界は見ようともしない。たとえ、見ようとしても暇がないから、そんな事できないのね。ほんとは、それじゃあいけないんだけど、でも、それはそれでいいのかもしれないわ。たとえ、世界が小さくても、その中で精一杯やって、幸せなら、それでもいいんだわって、あたし、思ったの。でも、みんな、幸せだっていう事に気づいてないみたい。何で、みんな、用のない物を欲しがるのかしら? 何で、自分の物っていうのを増やしたがるのかしら? そこの所はまだ、あたしにはわからないわ‥‥‥

 何か、あたし、変だわ。どうしちゃったんだろ。人間の世界にしばらくいたら、あたしまで変になっちゃった。もうやめよう。人間の事なんて考えたって馬鹿らしいわ。

 あたしはラーラよ。

 そうよ、あたしはラーラなのよ。

 そうだわ、フェラたち、どうしてるかしら?

 ちょっと会いに行って来よう。


真夏の夜の夢




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