人間に興味を持った妖精のラーラが現在過去未来と遊びながら、少しづつ人間を理解していきます。
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第三部 無住心 13.14.
2007年09月22日(土) 11:41

13




 和尚の言われるままに、五郎右衛門はさっそく座禅を始めた。

 新陰流を忘れろ‥‥‥

 新陰流を忘れろという事は、剣術を忘れろという事か?

 剣術を忘れろという事は、刀を捨てろという事か?

 刀を捨てろという事は、お鶴に斬られろという事か?

 お鶴に斬られるという事は、死ねという事か?

 死ぬという事は生きるなって言う事か?

 生きるなっていう事は‥‥‥

 お鶴は今、何してるんじゃろ?

 痛い、痛いと泣いているのか?

 いや、あの女が泣くわけがない‥‥‥

 いかん! お鶴は関係ない。

 新陰流を忘れろ‥‥‥

 わしは一体、何のために剣術をやって来たんじゃ?

 剣によって両親は殺された。

 わしは仇を討つために剣術を習った。

 多分、あの時のくだらん足軽は戦で死んだ事じゃろう。

 徳川家康も死んだ。

 わしは剣で人を殺して来た。

 自分が強くなるために、わしは人を殺して来た。

 お鶴の亭主も殺した。

 お鶴のように後家になった女も何人もいるじゃろう。

 あの時の子供もそうじゃ。まるで、昔のわしそっくりじゃ。わしのように剣術の修行を積み、わしを仇と狙うじゃろう。他にもそんな子供がいるに違いない。

 なぜ、こうなるんじゃ?

 剣というのは所詮、人殺しの道具に過ぎんのか?

 わしの親が剣によって殺される。

 そして、今度はわしが誰かの親を剣によって殺す。

 そして、次は、わしが誰かに剣によって殺される。

 この繰り返しじゃ。

 ぐるぐる同じ事が繰り返される。

 剣を捨てたからといって解決するもんじゃない。

 今、わしが剣を捨てたら、お鶴が喜んで、わしを斬るじゃろう。

 お鶴‥‥‥

 いかん! また、お鶴じゃ。お鶴は関係ない。

 新陰流を忘れろ‥‥‥

 あのくそ坊主め、わからん事を言いやがって‥‥‥

 畜生兵法(ちくしょうひょうほう)‥‥‥

 弱い者には勝ち、強い者には負け、互角の者とやれば相打ち‥‥‥

 当たり前じゃろ、そんな事。

 畜生! わからん‥‥‥

 木剣振るべからず、座禅すべし。飯食うべからず、座禅すべし。眠るべからず、座禅すべし‥‥‥

 あのくそ坊主め、座ってたからといって、わかるわけねえじゃろう。

 しかし、なぜ、わしはあの坊主を打つ事ができなかったんじゃ?

 わからん‥‥‥不思議じゃ‥‥‥

 もしかしたら、あの坊主、天狗か何かか?

 昔、義経が鞍馬山で天狗に剣術を習ったとか聞いた事はあるが‥‥‥

 新陰流‥‥‥

 新陰流‥‥‥

 師匠は今頃、どうしてなさるか?

 もう年じゃからな‥‥‥

 兄弟子の神谷さんはどうしてるじゃろ‥‥‥

 神谷さんちの腕白坊主も、もう大きくなってるじゃろうな‥‥‥

 お雪ちゃんも、もう嫁に行ったじゃろうな‥‥‥

 松田、野口、中川、岡田、竹内、柏木、みんな、元気でやってるかのう‥‥‥

 江戸か‥‥‥

 久し振りに帰りたくなったのう‥‥‥

 新陰流とは?

「五エ門さ〜ん、元気?」とお鶴の声がした。

 五郎右衛門は目を開けた。

 もう、日が暮れかかっていた。

 お鶴が和尚の杖を突きながら、一升どっくりを抱いて、片足を引きずるようにして、こちらに向かって来た。

 五郎右衛門の顔を見るとニコッと笑って、「また、来ちゃった」と言った。

「どうしたんじゃ? その足」

「何でもないのよ。ちょっとした筋肉痛。昨日、ちょっと、はしゃぎ過ぎた罰よ」

「何も、そんな足で無理して来なくてもいいじゃろ」

「何よ、和尚さんに聞いたわよ。あたしが来ないので、あなたがしょんぼりしてるって」

「あの坊主、そんな事、言ったのか?」

「そうよ。だから、わざわざ、来てあげたんじゃない。それにさ、あたしもにっくきあなたの顔を見ないと落ち着かないしね」

「その足で、わしを斬るつもりか?」

「そうよ。隙を見つけたら斬るわよ。覚悟してらっしゃい」

「相変わらず元気じゃな」

「さてと、憎き仇のために飯でも作ってやるか」

「今日はいい」

「えっ? あたしの作ったご飯は食べられないっていうの?」

「そうじゃない。あのくそ坊主に言われたんじゃ。座禅しろってな。剣も振るな、飯も食うな、夜も眠るな。そして、座禅をしろってな」

「へえ、あんな和尚の言いなりになるの?」

「別に言いなりになるわけじゃないが、今まで通り、毎日、剣を振ってても何も解決しなかったんでな、ちょっと、やり方を変えてみようと思ったんじゃ」

「それじゃあ、当分、ご飯、食べないの?」

「ああ」

「夜も寝ないの?」

「ああ」

「体、壊したらどうするの?」

「そしたら、お前がわしが斬ってくれ」

「そうか、それはいい考えよ。早く、倒れてね」

「残念じゃが、そう簡単には倒れん」

「まあ、頑張ってね。あたし、お酒、持って来たんだけど、これも飲めないわけね?」

「ああ。持って帰ってくれ」

「そうはいかないわ。せっかく苦労して持って来たんだもん。あたし、一人でも飲むわ」

「勝手にしろ」

「ええ。あなたはずっと座ってればいいのよ。あたしはご飯食べて、お酒飲んで、ゆっくりと寝るわ」


酔中画2-w015







14




 五郎右衛門は座っていた。

 お鶴は飯を作って、五郎右衛門に見せびらかしながら一人で食べた。

「ああ、おいしかった。あなた、ほんとに食べないの?」

 五郎右衛門は目をつぶって黙っていたが、腹の虫は騒いでいた。

「さてと、お酒でも飲もうかな」

「飯を食おうと酒を飲もうと構わんがのう、少し、静かにしてくれんか」

「あら、気が散るの? 修行がなってないわ。あたし、あなたの修行のお手伝いしてやってるのよ、わかる? 静かな所で座ってたって、何の修行にもならないわ。こんな山の中にいれば自然と心は落ち着いて来るものよ。でも、山から下りて町の中に戻ったら、また、心は乱れて、もとに戻っちゃうのよ。お寺の中にいるお坊さんが悟ったような顔をしていても、お寺から一歩出たら普通の人に戻っちゃうのと同じよ。そんなの悟りでも何でもないじゃない。本物の悟りっていうのは『真珠』みたいなものでしょ。本物の『真珠』っていうのは、どんなに汚れたドブ川に落ちたって、決して、汚れに染まったりしないで綺麗なままなのよ。あなたもそういう境地まで行かなきゃダメよ。わかる? あたしがそばで騒いでても全然、気にしない。うまそうな匂いがしても全然、気にしない。そばで、あたしがうまそうにお酒を飲んでても全然、気にしない。しかもよ、あなたのすぐ目の前に、すごくいい女がいても全然、気にしない。その位にならなきゃダメよ」

「うるさい!」

「ダメね。あなたはすごくいい環境の中で修行できるんだから、あたしに感謝しなけりゃダメなのよ。ねえ、一緒にお酒飲みましょ。おいしいわよ‥‥‥ねえったら‥‥‥堅物(かたぶつ)ね。そんなに堅くなってちゃ悟りなんて開けやしないわ。本物の『真珠』ってのはね、汚れる事なんて恐れないのよ。平気で汚れの中に入って行くのよ。それでも、ちっとも汚れない。汚れを避けてちゃダメだわ。汚い物にフタをして隠したってさ、汚い物は消えたりしないわ。ちゃんとあるのよ。お酒を飲んだからって、修行の妨げになるわけじゃないでしょ。飲みたけりゃ飲めばいいのよ。それが悟りよ。わかった?」

 五郎右衛門は目を開ける。

「飲む気になったのね?」

「小便じゃ」と五郎右衛門は外に行く。

「あら、おしっこもしないんじゃなかったの?」

「馬鹿者、垂れ流しなんかできるか」

「そんな中途半端な修行なんか、やめちゃいなさいよ」

「うるさい!」

 五郎右衛門は帰って来ると、また座った。

「また、座るの? よく飽きないわね。一体、目なんかつぶって、何考えてるの? あたしの事でしょ。ね、違う? ああ、つまんないの」

 お鶴は五郎右衛門を見つめたまま、しばらく、音も立てずに黙っていた。

 五郎右衛門はお鶴の気配が消えたので、気になって目を少し開けてみた。

「やった。やった」とお鶴は喜んだ。「やっぱり、あたしの事が気になるんでしょ。あたし、賭けてたのよ、あなたが目を開けるかって。もし、目を開けなかったら、あたし、泣いちゃったわよ。あたしって、そんなに魅力がないのかしらって。でも、よかった。やっぱり、あなた、あたしの事、好きなんだわ」

「うるさい!」と言うと五郎右衛門は目を閉じた。

「頑固ね、まったく‥‥‥そうだわ、ねえ、あなた、こういうの知ってる? 今日ね、あたし、剣術の事、調べたのよ。お寺にね、剣術の本があったの。和尚さんに読んでもらってね。あたし、ちょっと写して来たのよ。いい、読むわね?

 初めは我が心にて迷うものなり。

 われと我が心の月をくもらせて、よその光を求めぬるかな。

 人の心を知る分別、第一なり。

 善も友、悪も友の鏡なる、見るに心の月をみがけば。

 やめる、捨てる、分けるも一つにも心次第なり。

 有(あり)の実と梨という字は変われども、食うに二つの味はなし。

 心の止まり居着く所あるうちは進む志しはなし。

 よしあしと思う心を打ち捨てて、何事もなき身となりてみよ」

「待て! もう一度、心のっていう所から言ってくれ」

「いいわ。心の止まり居着く所あるうちは進む志しはなし。よしあしと思う心を打ち捨てて、何事もなき身となりてみよ」

「いいぞ、続けてくれ」

「遊身(ゆうしん)にならず仕掛ける事、第一なり。

 解きもせず、言いも得ざりし所をも、知りぬ物ぞと知るぞ知るなれ。

 いつも、敵を見下したる心持ちよし。

 引き上げて、嶺(みね)に庵(いお)をばむすべかし、谷へは月の遅く出(い)でるに。

 空(くう)の身に思う心も空なれば、空というこそ、もとで空なれ。

 敵の動きの未だ無の前以前に、先に進む志し、少しにてもあれば、場より内へは聊爾(りょうじ)に入りこまぬものなり。

 止まるにも進む志しあれば、おのずから映るなり。

 おのずから映れば映る、映るとは月も思わず水も思わず。

 どう? 何か、ためになった?」

「ああ‥‥‥そいつは新陰流じゃないのか?」

「うん、そうみたい。上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)の歌だって、和尚さんが言ってたわ。あたしもね、これ読んで考えたのよ。この間の晩の事よ。あなたはいつでも回りに気を張って警戒してるわね。あたしを抱いてる時もあなたはそうだったわ。あたしはあたしで、あなたを刺してやろうと思いながら、あなたに抱かれてた。よくわからないけどさ、あなたがあの時、あたしの事を警戒してたから、逆にあたしはあなたを刺そうと思ったのかもしれない。結局は失敗しちゃったけどさ。もし、あの時、あなたがあたしの事を警戒しないで、あたしに夢中になっていてくれたら、あたしもあなたに夢中になっちゃって、あなたを刺す事なんて忘れちゃったかもしれないわ‥‥‥あたしにはよくわからないけど、『よしあしと思う心を打ち捨てて、何事もなき身となりてみよ』って、そういう事じゃないの? どう思う?」

「俺にもわからん」
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