18
昭雄は川のほとりに立って反対側を見つめていた。石にはまだ黒い影が残っている。
ラーラは石の上にあぐらをかいて酒を飲んでいる。
昭雄はラーラの方に振り返って言った。
「あれは本当なのか?」
「ちょっと違うけどね、まあ本当よ」
「ちょっと違うって?」
「あれはあなたのお婆さんの思い出なのよ。だから、自分の都合のいいように美化しているの」
「お婆さんはあの男に絞め殺されたのか?」
「本当は二人とも薬で死んだらしいわ」
「全然、知らなかった」
「もっと過去までさかのぼれば色々と面白い事がわかるわ」
「あの男は一体、誰なんだ?」
「あなたの奥さんのお爺さん」
「俺はまだ結婚なんてしてないよ」
「あら、そう。でも、あなたは麗子という女と一緒になるのよ。そして、彼女を殺すの。さっきの男みたいに」
「嘘だ! そんな事、わかるわけがない」
「わかるのよ。わたしが生まれてから先の事はわからないけど、過去の事は全部わかるの」
「なぜ?」
「わたしはまだ魂だけなのよ。肉体を持ってないの。だから、過去の事は一切見えるのよ」
「なぜ、肉体があると見えないんだ?」
「わからないわ。でも、人間ていうのは都合の悪い事はすべて忘れてしまうのよ」
「それじゃあ、生まれてすぐの時はどうなんだ?」
「生まれてすぐの時はまだ、過去が見えるはずよ。でも、未来に向かって生きて行こうとするの。過去の事なんて必要なくなるのよ。過去なんて実体のないものだから、それより、お母さんのおっぱいの方が嬉しいのよ」
昭雄の祖父、二郎が十歳位の女の子を連れて、小川の反対側に現れた。
「ほら、あなたのお母さんが来たわよ」
昭雄、振り返って、二郎と女の子を見る。
女の子は小川で遊んでいる。二郎は石に腰掛け、スケッチを始めた。すでに、黒い影は消えている。
「人間は死んだらどうなるんだ?」と昭雄はラーラに聞いた。
「知らないわ、そんな事。地獄に落ちて苦しむんでしょ」
「ちゃんと答えてくれよ」
「知らないのよ、ほんとに。わたしはまだ生まれていないし、死んでもいないのよ」
「麗子とか言ったな。なぜ、俺がお婆さんを殺した男の孫なんかと一緒にならなけりゃならないんだ?」
「そう決まってるのよ」
「誰がそんな事、勝手に決めたんだ?」
「自然よ」
「自然?」
「人間は神って呼んでるんじゃないの」
「神? 俺は神なんて信じてないよ」
「でも、自然が決めたのよ。さっきのあなたの奥さんのお爺さんが、あなたのお婆さんと心中するのも、あなたが奥さんを殺すのも、すべて、自然が決めて、人間はただ、その通りに動いてるだけよ」
「自然なんて言ったって、大して力なんか持ってないじゃないか。人間はどんどん自然を破壊している」
「それも自然が決めた事、人間は自然を破壊したり、勝手に作り変えたりして、自然を支配してるつもりだろうけど、それは人間の思い上がりよ。人間自身が自然の一部なのよ。自然の一部に過ぎないものが、自然を支配できるわけないでしょ」
「もし、みんな決められているんだったら、人間は何のために生きているんだ?」
「自然の一部として役割を果たしているのよ」
「たった、それだけのために、毎日あくせくと生きてるわけか?」
「そうよ。でも、人間は何も知らないわ。みんな、一生懸命、生きてるじゃない」
「あらかじめ、決められたコースをか?」
「ええ、あなたはそれではつまらないとでも言うの?」
「当たり前だろ。自分の未来がすっかり決められてるのに生きる馬鹿はいないさ」
「それはそうよ。だから、みんな、未来の事は知らないのよ。一秒先の事だってわからない。ただ、自然だけが知っているのよ」
「自然て、一体、何なんだ?」
「そんな事、わかるわけないでしょ。人間ていうのはわからないものがあると勝手に言葉を並べてわかったような振りをしてるけど、あれは本当にわかっているわけじゃないのよ。わからないと不安なのね」
「面白くないな。人間て、そんなちっぽけなものなのか?」
「それは仕方のない事よ。人間は鳥のように空は飛べないし、魚のように海では生活できないし、決められた範囲の中で生きていくしかないのよ。たとえ、それがあらかじめ決められた生き方だったとしても、未来の方に向かって生きて行くのね、死ぬまで毎日」
「もし、俺が麗子なんて女と結婚しなかったら、どうなる?」
「わたしはいなくなるわ。でも、そんな事は絶対にありえないの」
「ふん。俺はそんな女と結婚なんかしないぞ、絶対に‥‥‥」
「好きにしなさい」
ラーラは立ち上がると、とっくりをぶら下げて森の中に入って行った。
「どこ行くんだ?」
「あなたの未来を見せてあげるわ。興味あったらついてらっしゃい」
「俺の未来?」
昭雄はしばらく、スケッチしている二郎と小川で遊んでいる女の子を見ているが、ラーラの後を追って森の中に入って行く。
19
原生林に囲まれて綺麗な小さな沼がある。
小枝の先に綺麗な小鳥が止まって月を見上げている。
林の中からラーラと昭雄が出て来る。
「見て」とラーラは小鳥を指さした。「ねえ、綺麗でしょ」
「うん、あんな綺麗な鳥、見た事ないよ」
「あの鳥はね、あなたの祖先よ。ずっと昔の事だけど」
「俺の祖先は鳥だったのか?」
「もとは人間だったのよ。彼女はこの沼で死んだの」
「自殺か?」
「いいえ、違うわ。この沼で水浴びしてたら、波に飲まれて溺れ死んだのよ」
「こんな小さな沼で溺れ死んだ?」
「昔はもっと大きかったのよ。この沼にはね、竜が住んでると言われてたの。この辺に住んでた人たちは誰も近づかなかったわ。彼女は隣村の男の人と恋をしてね。彼女の村とその人の村っていうのが仲が悪いのよ。それで、二人は誰も近づかないこの沼で逢い引きする事にしたの。彼女はいつも、彼に会う前にここで水浴びしてたのよ」
「男の方はどうなったったんだ?」
「彼女は沼の奥深くに沈んじゃったんで、彼には彼女が死んだっていうのがわからなかったわ。しばらく待っていたけど、彼女が現れないので仕方なく帰ったの。そして次の日、彼女の村の人たちが、彼女を返せって彼の村まで押しかけて行ったわ。そして、戦争よ。彼は戦死したわ」
「ふうん‥‥‥それで、あの鳥は?」
「彼女の霊が小鳥に生まれ変わったのよ。そして、この沼、自分の命を奪っただけでなく、恋人や村人たちを戦争に追いやった、この沼に復讐しようとしてるの」
「復讐?」
「ええ、この沼を埋め尽くそうとして、毎日毎日、小枝や小石をクチバシで運んで来ては、この沼に落としてるの」
「小枝や小石で、この沼を埋め尽くすだって?」
「彼女は毎日、やってるわ」
「そんな事、できるわけないじゃないか」
「でも、何千年と掛かって、大分、この沼も小さくなったわよ」
「何千年‥‥‥気の遠くなるような話だ。この沼を埋めるまで、毎日、やるつもりなのか?」
「彼女に聞いてみたら?」
「鳥がしゃべるかよ」
「ただの鳥じゃないわ。あなたの祖先よ」
「そうか」と言って、昭雄は鳥の側まで行く。
鳥は昭雄の方に振り向いた。昭雄は軽く頭を下げた。
「あの、あなたは僕の祖先ですか?」
鳥は何も言わない。ラーラの方を見る昭雄。ラーラはもう一度、聞いてみろと合図する。
「失礼ですけど、あなたは僕の祖先なのですか?」
「知りません」と鳥は可愛い声で言った。
「あなたは何をしてるんですか?」
「疲れたから休んでいます」
「毎日、小枝や小石をこの沼に運んでいるんですか?」
「ええ、そうです」
「大変ですね。もう、どの位、やってるんですか?」
「忘れました。ずっと昔からやっています」
「この沼を埋めるためですか?」
「そうです」
「なぜ?」
「考えた事もありません。わたしはこれをやらなければならないのです」
「それじゃあ、これからもずっと、やっていくんですか?」
「ええ、この沼が埋まるまでやります」
「この沼が埋まったら、どうするんですか?」
「考えた事もありません。今は小石や小枝を運ぶだけです」
「そうですか‥‥‥」
「失礼します」と鳥は飛び立って行った。
飛んで行く鳥を見ている昭雄。
ラーラは切り株に座って、酒を飲んではニコニコしている。
「あんたね」と昭雄はラーラを見ると言った。「ちょっと飲み過ぎじゃないのか」
「いいじゃない」とラーラは笑う。「あんたもやれば」
昭雄も酒を飲み、鳥が飛んで行った方の空を見る。
「毎日毎日、あんな事をしていて楽しいんだろうか?」
「他人にはわからない事よ」
「あの鳥、もし、この沼が埋まったら、どうするんだろう」
「きっと、この沼は永遠に埋まらないのよ。だから、あの鳥も永遠に仕事を続けて行くと思うわ」
「うん、そうかもしれない」
鳥がクチバシに小枝を挟んで戻って来て、沼に小枝を落として、また飛び去った。
「悲しい話だな。永遠に埋められないものを埋められる日を夢見て、毎日毎日、埋めようと努力している‥‥‥まるっきり、無駄じゃないか」
「そうね。無駄ね。でも、みんな無駄な事をやってるのよ。少しでも夢に近づこうとして」
昭雄はラーラの顔を見る。
「これは心の問題だけどね」
「心?」
「そう、心よ。心っていうのはね、無限なの。宇宙みたいなものよ。果てがないの。永遠なもの。頭で考えれば、すべてが無駄なものよ。でも、心で見れば、無駄なものなんて一つもないのよ。すべてがあるべきようにあるの」
「心か‥‥‥」
「たとえば、あなたは今、絵を描いてるでしょう。あなたは真実を描こうとしている。そうでしょう?」
「真実? よくわからないな。でも、描きたいものがなかなか描けない」
「真実っていうのは、あなたの心なのよ。あなたは、そのつかみ所のない心を絵にしようとしてるのよ。心っていうのはね、みんな、同じようなもの。たった一つのものよ。形のないもの。そして、どんな形にでもなるもの。あなたがあなたの心を絵に描けば、他の人がそれを見ても何かを感じるはずよ。絵って、そういうものじゃないの?」
「うん、わかるような気もする」
「頭でわかっても駄目よ。心で感じなくちゃ」
「心か‥‥‥」
鳥がまた飛んで来て、小枝を沼に落として飛び去る。
「そあ、行きましょう」
「うん」
ラーラと昭雄、林の中に入って行く。
ピヨピーピーと小鳥が飛びながら鳴いた。
20
ここは森の中。
ラーラの仲間たち、人間たちは妖精と呼んでいるが、彼女たちが薄い着物をなびかせながら踊っている。
フェラという名の風の精は竪琴を弾いている。横笛を持ったローダという名の木の精が近づいて来る。
「ラーラはどこ行ったの?」とローダが聞いた。
「さっき、人間と一緒にいたよ」とフェラは答えた。
「また、人間と?」
「うん。また人間をだましてるんだよ」
「もの好きね。ねえ、フェラ、戦争でも見に行かない?」
「戦争? 人間たちの戦争?」
「そうよ。また、始まったのよ」
「この前も、あんたと一緒に行ったけど、つまらなかったわ」
「あれはもう、ずっと昔じゃない。今の戦争はあの頃と全然、違うのよ。弓矢や刀なんかで戦わないの。戦うのはみんな機械よ。人間はただ、ボタンを押してるだけなの」
「そんなんじゃ、余計、つまらないじゃない」
「それが面白いのよ。ただ、ボタンを押しただけで、街なんか跡形もなくなっちゃうのよ。その街に住んでいる人間なんて、何も知らないうちに、みんな死んじゃうわ。人間が苦労して建てたビルも車も電車も、みんな消えちゃうのよ」
「嘘! そんな事、できるわけないよ」
「ほんとよ。ほんのまばたきをしてるうちに、何もなくなっちゃうの。ほら、ずっと昔、まだ陸地ができたばかりの時があったでしょ。あの時みたいになっちゃうの」
「まさか?」
「ほんとだってば、行ってみればわかるわ」
ユーナという水の精が二人の話に割り込んで来る。
「何の話、してんの?」
「戦争の話。人間たちの戦争よ」
「何だ、つまんない」とユーナは踊りながら去って行った。
「ねえ」とフェラはローダに言う。「さっきの話、本当なの? みんな消えちゃうって」
「ほんとなのよ。あたしだって見るまでは、とても信じられなかったんだから」
「そう、ほんとなの‥‥‥ねえ、それじゃあ、あたしたちで、そのボタン、みんな押しちゃおうよ」
「あたしもそう思ってたの。人間なんて、みんな死ぬといいんだわ」
「そうよ。昔はよかったわ。あたしたちは好きな所にいられたわ。今はこんな山奥に隠れてなくちゃならない」
「そうよ。また昔のようにしましょう。地球ももうすぐ死んじゃうけど、最期くらい、あたしたちの自由な世界を作りましょう」
「でも、人間ていうのは馬鹿な事ばかりしてるのね。地球の命だって、もうあまりないんだから、ほっといても人間なんて滅びるのに、何も自分たちで自分たちを滅ぼす事もないのに‥‥‥まったく、どうしようもない馬鹿ね」
「人間ていうのは何でも自分たちでやらなけりゃ気がすまないのよ。ちっぽけなくせに王様きどりでいたいのよ」
「でも、可愛い所もあるのよ」
「フェラ、あんた、最近、ラーラに影響されてんじゃないの?」
「そんな事ないよ。あたしも初めの頃は面白くて、人間をからかってたけど、もう飽きちゃった。ラーラはよく飽きもせずに続けられるわ。感心するよ」
「ラーラなんか置いて行きましょ」
「うん、面白そうね」
フェラとローダ、消える。
楽しそうに踊っている妖精たち。
21
「さっきから黙り込んで、何を考えてんの?」とラーラは昭雄に言った。
二人は森の中の細い道を歩いている。
「あんたはさ、何でもわかっているようだけど、俺の考えてる事はわからないのかい?」
「わかるわよ。どうやって、あたしを口説こうかって考えてたんでしょ」
「馬鹿、そんな事、考えちゃいないよ」
「あら、そう。こんな美人を目の前にして、あんた、口説こうともしないの?」
「口説いてどうするんだよ。あんたを抱いて、俺は凍死するのかよ」
「それ、いいわ。美女を抱きながら死ぬなんて最高よ」
「俺はまだ死なないよ」
「そうよね。あなたはこれから麗子って女と一緒になって平和な家庭を作るんですものね。そして、子供を生んで‥‥‥」
「ちょっと黙っててくれないか。頭が混乱してるんだよ」
「そう、つまんないの」とラーラは酒を飲む。「あなた、今、頭の中を一生懸命になって整理してるんでしょ」
「ああ」
「混乱してるものはほっときなさい。自然と落ち着く所に落ち着くものよ。無理に考えをまとめて、自分で納得なんかしたって、どうなるわけでもないわよ」
「そうかもしれないけどさ、混乱していて何も頭に入らないよ」
「気にするからいけないのよ。頭なんか、ほっとけばいいのよ。必要なものはちゃんと頭に入るし、用のないものは自然と忘れていくものよ」
「簡単に言うけど、あんたには頭なんてないんだろう」
「そうよ。心だけよ、わたしは」
「心、心っていうけど、心なんて一体、どこにあるんだよ?」
「心に形なんてないわ。心はあなたの体の中、どこでも自由に動いているのよ。頭を使っている時には頭に、手を使っている時には手に、また頭の先から足の先まで全身に広がっている時もあるわ。まれには体からはみ出して回りに影響をおよぼす時もあるのよ」
「ますます、頭が混乱してきた」
「それは、あなたの心が頭の方に行き過ぎてるからよ。もっと下に下げなさい、心を」
「どうやったら、そんな事できるんだ?」
「やめるのよ、考える事を」
「俺は考えをまとめないと落ち着かないんだよ」
「そう。それじゃあ、あなたの未来を見る前に、いい所に連れてってあげる」
「どこだい?」
「どこでもいいでしょ。わたしとデートできるんだから」
「それは嬉しいんだけどさ、その冷たい体、何とかしてくれよ。せめて、人間と同じ体温にさ」
「黙って」
ラーラは後ろから両手で昭雄の目をふさいだ。
「ワイイワカ、ドケダン、ゲンニナ、カバワタナア」と呪文を唱えるとラーラは消え、昭雄は気を失ったまま立っている。
22
何もない広い砂漠の上に三日月が出ている。
ラーラと昭雄が突然、現れる。ラーラは昭雄の目から両手を離す。昭雄は辺りを見回す。
二人の影はない。
「ここはどこだ?」と昭雄はラーラに聞いた。
「月の上よ」
「嘘つくなよ。月はちゃんとあそこにあるじゃないか」
「あれは地球」
「地球があんなに小さいわけないだろう」
「あれは地球よ。あなた、地球を見た事あるの?」
「ないけどさ。地球はあんなに小さいのかよ」
「そうよ。地球なんて小さいものよ。人間はあんな小さな地球にいて、つまらない事にくよくよしてるんだわ」
「ここは本当に月か?」
「そうよ」
「月の砂漠って歌はあるけど、月に砂漠なんてあったか?」
「あなた、月に来た事あるの?」
「ないけど、写真で見たよ。確か、岩ばかりだったぜ」
「岩もあるけど、砂もあるのよ。わたしを信じなさい」
「月には空気もあるのか?」
「ないわよ」
「でも、俺は生きてるぜ」
「今のあなたは魂だけよ。わたしと同じにね」
昭雄は自分の体を見る。そして、両手で体に触ってみる。
「肉体だって、ちゃんとあるじゃないか」
「そう思っているだけよ。あなたの肉体はあそこよ」とラーラは地球を指さす。「森の中にあるわ。今頃は犬に食われてるわ」
「冗談はよせよ。俺はまだ生きていたいよ」
「大丈夫よ、心配しないで。それより、あなた、あの地球を見てどう思う?」
「ほんとに、あんな小さな星の中に人間が住んでいるのか?」
「人間がどんなものか、わかったでしょう。人間なんて、いたっていなくたって、この宇宙の中では全然、問題じゃないわ。たとえ、地球がなくなったとしたって大した事じゃないのよ」
昭雄は空の星を見渡している。「うん。大した事ないな。でも、何で人間なんているんだろう」
「地球には空気があるわ。空気を吸うためにいるんじゃないの」
「うん。多分、そんなところだろう」
「人間はちっぽけなものよ。でも、大きさや形なんて無意味なものよ。宇宙全体から見れば太陽だって目に見えない程、ちっぽけな存在でしかないわ。その宇宙だって、もっと大きなものから見れば、ちっぽけな存在なのよ。でもね、人間の心は無限に広がる事ができるのよ」
「うん、わかるよ。何だか急に自由になったみたいだ」
「肉体がなくなったからよ。頭がなくなったからよ。頭っていうのは色々な物を記憶してるわ。色々な知識をね。でも、そのお陰で、人間は不自由になっているのよ。色々な事が固定観念として頭にくっついているの。そのいい加減な固定観念を組み合わせて、物事を考えたりするから、余計、変な結果になるの。それと感覚っていうのもあるわ。あれも大して役に立たないのに、人間はそれを信じきって使っているわ。確かに、使い道によっては素晴らしい道具よ。でも、人間はそれを充分に使ってないわ。目なんて見ようとしなければ何も見えないし、耳だって聞こうとしなければ何も聞こえないわ。それに言葉の問題もあるわ。人間は言葉っていうものを信じすぎるのよ。単なる記号に過ぎないのに。言葉なんて不自由なものよ。何かを表現してるようで、何も表現してないのと同じよ。人間は感覚を充分に使いきっていないくせに、その感覚の代わりになる物を色々と作り出しているわ。心なんて形がないから信じない。感覚は大切にしまっておく。考える事も動く事も機械に任せておく。人間はそのうち、植物のようになるわ。それも一番みにくい植物にね」
「そうだな。でも、人間がこんな風になったのも自然が決めた事だろう?」
「人間も自然の一部なのよ。人間にも責任があるわ」
「人間はどこで間違った方向に進み出したんだろう」
「わからないわ。でも、人間は行き着く所まで行くわ。人間が滅びる所までね。絶対に途中では気がつかないわ。滅びる時になるまで、絶対に気がつかないと思うわ」
「うん」
三日月の形をした地球を見ているラーラと昭雄。
「さあ、今のあなたはまったくの自由よ。どこにでも好きな所に行けるわ。魂の散歩に出掛けましょう」
ラーラ、昭雄の手を取る。
消える二人。
23
ここは雲の上。
綿のような雲、ガラスのような雲、氷のような雲、虹色の雲などが一面をおおっている。
ラーラと昭雄が仲良く散歩している。
「凄いな‥‥‥」と昭雄は実感を込めて言った。
「自然が作り出した美よ」とラーラは言った。「でも、作ろうとしてできたものじゃないわ。自然にできたものよ。自然だけが美というものを作り出す事ができるの。人間の心が自然と一体化した時に初めて美が生まれるのよ」
回りの景色を感激しながら見て歩く昭雄。雲が切れて、大きな穴があいているのも知らずに歩いている。
昭雄はふと下を見る。地球が見える。こんな所に立っていていいのだろうかと思う。昭雄は落ちる。かろうじて、雲につかまって、穴にぶら下がる。
「助けて!」
ラーラ、昭雄の所に行き、手を引っ張ってやる。
「ああ、危なかった」
「馬鹿ね。今のあなたは魂だけなのよ。空中だって歩けるわ。落ちると思うから落ちちゃうのよ」
ラーラ、穴の上を平気で歩いてみせる。
「ほら、落ちないじゃない」
昭雄、恐る恐る穴の上に右足を出してみる。
「大丈夫よ」
昭雄、左足も空中に出す。
穴の上に立っているラーラと昭雄。
「ほんとだ、すげえや」
「面白い」と言って、昭雄はいい気になって空中を歩き回る。
地上の広々とした荒野に原始時代の男が現れる。弓を背中に背負い、腰に革を巻き付け、石の斧を持っている。
「あっ、人間だ!」昭雄が気づいてラーラに言った。
「あなたの先祖ね」とラーラは男を見ながら言った。
男は疲れきった様子で荒野をさまよい歩いている。男の名前はヤマツミという。後に山の神となった。
「あの男は何してるんだ?」
「あの男は女を捜してるの」
「女? 女に逃げられたのか?」
「あんたじゃあるまいし」
「何だと?」
「夕子って娘、どうなったの?」
「うるせえ。そんなのどうだっていいだろ。今はあの男の話だよ」
「彼はね、その女を一度しか見た事がないのよ。ある時、狩りをしていたら偶然に会ったのよ。でも、その女にはもう男がいたの。それで彼は一度は諦めたんだけど、どうしても諦めきれなくて捜し始めたのよ」
「へえ、一目惚れってわけか」
さまよい歩くヤマツミを見下ろしているラーラと昭雄。
24
弓を杖代わりにして荒野を歩いているヤマツミ。恨めしそうに太陽を睨む。
草むらの中に小川が流れている。
ヤマツミが今にも倒れそうな足取りでやって来て、川の前にひざまづくと、頭ごと水の中に突っ込んで水を飲む。
しばらく、川のほとりで横になっている。
夕陽を浴びながら、魚を生のまま、かじっているヤマツミ。
広い草原の中、旅を続けているヤマツミ。
丘の上に立ち、回りを見回しているヤマツミ。
森の中、小川で水を飲んでいる親子の鹿。
親鹿を弓矢で狙っているヤマツミ。
矢が親鹿の胸に刺さる。逃げる親子の鹿。
後を追うヤマツミ。血の跡を追いかける。
倒れている親鹿。
親鹿から矢を抜こうとしている女がいる。女の名前はカヤノという。後に野の神となった。
ヤマツミはカヤノに近づく。
振り向くカヤノ。
「アアアアアア」とヤマツミはカヤノに声を掛ける。
カヤノ、目を見開いて、ヤマツミを見つめる。
互いに見つめ合っているヤマツミとカヤノ。
「ウウウウウウ」とヤマツミはカヤノに言う。
カヤノは強く首を横に振り、その場から逃げる。
ヤマツミ、カヤノの後を追う。
逃げるカヤノ。
追いかけるヤマツミ。
カヤノは逃げて来て、小川のそばにある洞穴の中に入って行く。
ヤマツミは追いかけて来て、洞穴の前に立つ。
洞穴からカヤノが男に寄り添いながら出て来る。その男の名前をキタカという。後に神になれずに死んでしまった。
キタカはヤマツミに帰れと手で合図をする。
ヤマツミは首を横に振り、右手に持った石斧を突き出す。
キタカはカヤノの顔を見つめる。
カヤノは静かに首を振る。
キタカ、カヤノから離れて、石の斧を構え、ヤマツミと向かい合って立つ。
二人の男を見守るカヤノ。
ヤマツミ、斧を振り上げ、キタカに飛び掛かる。
傷だらけになって戦うヤマツミとキタカ。
戦う男たちを静かに見つめているカヤノ。
勝負はなかなかつかない。
ようやく、ヤマツミがキタカの頭に斧を振り下ろす。
キタカは死ぬ。
ヤマツミ、立ち上がって、カヤノの方に行く。
カヤノもヤマツミの方に近づいて来る。
見つめ合うヤマツミとカヤノ。
ヤマツミ、カヤノを抱きしめる。
カヤノ、ヤマツミの傷口を優しくなめる。
寄り添いながら洞穴に入って行くヤマツミとカヤノ。
頭を割られて死んでいるキタカ。
ハゲタカが空で騒いでいる。
25
雲の上に腹ばいになって、地上を見下ろしている昭雄。
隣でラーラは酒を飲みながら、雲をちぎっては丸めて、地上に投げて遊んでいる。
昭雄、何かを言おうとしてラーラを見るが何も言わない。
互いに見つめ合うラーラと昭雄。
ラーラは優しく微笑する。
うなづく昭雄。
上を見上げれば降るような星。
西の空には三日月。
寄り添いながら楽しそうにデートを楽しむラーラと昭雄。
26
山の中、昭雄が身動きもせずに立っている。
ラーラが姿を現し、昭雄の目から両手を離す。
昭雄、ゆっくりと目を開いて、辺りを見回す。
「どう、気分は?」
「俺、どうしたんだろ。何だか、頭の中がもやっとしてるよ」
「やっぱり、無駄だったようね」
「何か変な気分だな」
「あなたはさっき、あそこにいたのよ」とラーラは雲を指さす。
「変な事、言わないでくれよ。頭の中が混乱してるんだから」
「わかったわ。あなたの未来でも見に行きましょう」
ラーラ、さっさと歩いて行く。
昭雄は頭を振りながらついて行く。
27
草むらの中で若い男女が抱き合っている。
側に置いてある小型カセット・レコーダーから流れる電子音楽。
抱き合う二人の上では三日月が笑っている。
ラーラと昭雄が森の中から出て来て、二人を見る。
「おっ」と昭雄は言う。「やってる、やってる」
「ゆっくり見物しましょう」とラーラは草の上に腰を下ろした。
「見るのはいいけど、こんな所にいたら、二人に見つかっちゃうぜ」
「大丈夫よ。彼らにはあたしたちは見えないの」
「どうして?」
「時間的次元が違うのよ。彼らはね、今のあなたから見れば二十年後の人たちよ。二人共、あなたの子供なのよ」
「何だって! あの二人が俺の子供? 馬鹿言うなよ。兄妹で抱き合ってるわけないだろう」
「ところがそうなのよ。男の方はね、あなたと麗子の間にできた子で英雄っていうの。女の方は、あなたが麗子を殺してから一緒になった女との間にできた子で涼子っていうのよ。二人共、よくあなたに似てるわ」
「よせよ」
「まあ落ち着いて」とラーラは昭雄に酒を渡す。
昭雄は一口飲むとラーラの隣に座る。
「という事は、俺が麗子っていう女を殺す。そして、新しい女を作る。そして、麗子の子供と新しい女の子供が、血のつながった兄と妹がああやって抱き合っている。それを父親の俺が眺めているというわけか?」
「そういう事ね」
「嘘だ! こんな事、あるわけない」
「信じたくないでしょうけど事実なのよ。麗子の生んだ子と夕子の生んだ子がああやって愛し合ってるのよ」
苦い顔をして昭雄は英雄と涼子を見ている。
「あんた、今、夕子って言わなかったか?」
「言ったわ」
「夕子って、あの夕子か?」
「そう。あなたが学生時代に付き合っていた娘よ」
「彼女はどこかの男と結婚したはずだ」
「しなかったのよ。結婚する前に男の方が死んじゃったのよ」
「奴が死んだ?」
「確か、殺されたのよ、女の人に。よく知らないけど」
「そうか、奴は女に殺されたのか‥‥‥ざまあみやがれ‥‥‥それも自然が決めた事なのか?」
「ええ」
「なぜ、自然は人と人を殺したり、殺させたりするんだ?」
「それはね、だんだんと人間が心っていうものを忘れてしまったからなの」
「また心か。心と殺人がどう関係あるんだよ?」
「いわゆるショック療法ね。人間ていうのは、すぐ、何にでも慣れちゃうのね。毎日、誰かが誰かを殺しても、自分だけは大丈夫だって思っている。他人の事だから、自分には関係ないと思っている。心なんかなくても物質的に満足できれば、人間、生きて行く事はできるわね。他人が殺されたって平気よ。たまたま、あなたに関係ある人が殺されたとする。あなたは悲しむでしょう。でも、他人は悲しまないわ。あなた自身もすぐに忘れてしまうかもしれない。人が人を殺す事は昔から人間が繰り返し繰り返しやって来た事よ。それをやめさせる事ができるのは人間の心だけ」
「人間の心は、自然に逆らう事ができるのか?」
「それはできないわ。でも、心というものがわかれば人間は自由になれるわよ」
「自然の支配から逃れられるのか?」
「そうね。自然と一体化しちゃうの。でも、そんな人間はいないでしょう」
「でも、いる可能性はあるんだろ?」
「可能性はあるわ。人間の心までは自然だって支配できないから」
「俺にその心ってやつがわかれば、あの二人の関係はなくなるんだな」
「それは不可能ね。あなたは自然が決めた通りに生きて行くのよ、死ぬまで」
「うるさい! なぜ、こんな風にならなけりゃいけないんだ。自然ていう奴は何で、こんな風に決めたんだ?」
「これにもちゃんと理由はあるのよ。過去にさかのぼってみればわかるわ」
「過去に何があったんだ?」
「五百年位前の事よ。戦国時代の頃ね。実の兄と妹が愛し合っちゃったのよ」
28
草むらの中で抱き合っている英雄と涼子が、五百年前の兄と妹に変わる。二人共、粗末だが武家姿をしている。
兄は小太郎、妹は小菊という。抱き合っている二人のそばを一人の農夫がカゴを背負って通る。二人に気づき、そっと近づいて二人を見る。二人は見られているのに気づかない。
「妹が綺麗すぎたのね」とラーラは言った。「こっそり、二人で逢い引きを重ねたの。ところが、それを村の人に見られてしまったの」
夜中。小太郎と小菊、侍姿の父親と母親、小さな荷物を持って村を出て行く。
それを見ているラーラと昭雄。
「そして、村中に二人の仲が知れ渡って、村にいられなくなったのよ。あの兄妹の父親は浪人していたの。以前、仕えていたお殿様が戦争で隣の国のお殿様に殺されてしまったの。そして、その村に隠れて時機を待っていたのよ。でも、そんな事になったので、仕方なく家族揃って夜逃げよ」
戦場跡。人間や馬の死体がゴロゴロ転がっている。
旅を続けている家族四人。
遠くから馬のひづめの音が近づいて来る。
耳をすます父親。
物陰に隠れる四人。
鎧姿の武士が数人、馬に乗って、隠れている四人のそばを横切って走り去る。
四人、物陰から出て来て、去って行った馬を見送る。
四人、また歩き始める。
荒れ果てた土地。それでも所々に春の小さな花が咲いている。
旅を続けている家族四人。
小菊の腹は大きくなっている。
小太郎と父親が村外れの祠の側に座っている。
小太郎は地面に何かを描いたり、祠の方をチラチラ見たり落ち着かない。
父親は腕を組んで夜空を睨んでいる。
静寂。
遠くで犬の遠吠え。
祠の中から、赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。
祠の方を振り向く小太郎と父親。
「妹は男の子を生んだわ」
赤ん坊の元気な泣き声‥‥‥
人影もなく静まり返っている神社の境内。
父親が赤ん坊を抱いて来る。
大きな木の根元に赤ん坊を捨てる。
泣き出す赤ん坊。
逃げるように走り去る父親。
「父親は人間の子供じゃないと言って、捨ててしまったわ」
「殺さなかったのか?」
「母親が反対したのよ」
泣いている赤ん坊‥‥‥
雪におおわれた峠道。
家族四人、歩いている。
雪の上に倒れる母親。
介抱する小菊。
旅の商人が通りかかり、弱っている母親を自分の馬に乗せてやる。
一同、峠道を歩き去る。
「あの家族は金持ちの商人に助けられたの。妹の小菊は、その商人の世話で、ある侍の所にお嫁に行ったわ。兄の小太郎の方はある大名の家来になったの」
草むらの中で抱き合っている小太郎と小菊。二人共、立派な着物を着ている。
「それでも、二人は隠れて会っていたのね」
若い侍が現れ、兄妹をしばらく見ている。そして、ゆっくりと刀を抜く。
静かに兄妹に近づき、刀を振りかぶると小太郎の背中を袈裟斬りにする。
飛び散る血。
絶命する小太郎。
驚いて悲鳴をあげる小菊。
逃げようとするが、体が言う事をきかない。
「よくも俺をだましてくれたな」若い侍は刀を振り上げ、小菊を睨んだ。
小菊は何かを言おうとするが声が出ない。
両手を合わせて、若侍に哀願する。
若侍、気合と共に小菊の首を斬る。
飛び去る小菊の頭。
首からあふれ出る血。
頭のない小菊の体、前に倒れる。
若い侍は刀についた血糊を脱ぎ散らかしてある小菊の着物で綺麗に拭うと去って行った。
血を流している小太郎と小菊の死体。
それを呆然と見ている昭雄。
優しく微笑みながら昭雄を見ているラーラ。
「すげえな‥‥‥」
昭雄はラーラからとっくりを奪うと、一口酒を飲んだ。
「ほんとにすげえや‥‥‥あんた、あれをよく平気な顔して見てられるな。やっぱり、人間じゃないな」
「何言ってるのよ。あんたたち人間は毎晩、茶の間であんなのを見ているじゃない。お茶なんか飲みながら喜んでさ」
「あれは作りもんだよ」
「同じよ。テレビは人間が作った芝居。今、あなたが見たのは五百年前に自然が作った芝居。人間が作った芝居では、まさか、人間を殺したりはしないわね。でも、その芝居のために人間以外の生き物は殺されているのよ。たかが、人間の暇つぶしのためにね」
小太郎と小菊の死体は消える。
「あの二人の子供は死んじゃったのか?」
「ちゃんと生きてるわよ」
神社の境内、早朝。
武家姿の娘がやって来る。
泣き疲れて一睡もしていない顔。
神社の前にひざまづいて祈る。
「神様、わたしはどうしたらいいのでしょう。昨日、夫の戦死の知らせが参りました。夫とはまだ連れ添ったばかりです。わたしは商人の娘で、お侍の人と一緒になるなんてできない話でした。でも、あの人が御両親を説得して下さって、やっと、一緒になる事ができました‥‥‥それなのに‥‥‥これから幸せになれると思っていたのに‥‥‥もう生きて行く力もありません‥‥‥わたしは死にます‥‥‥神様、どうぞ、あの世であの人に会わせて下さい。お願いします」
祈っている娘。
突然、赤ん坊の泣き声がする。
娘は泣き声の方に泣き濡れた顔を向けた。
赤ん坊の方に行く。
「どうしたの?」と娘は赤ん坊を抱く。
赤ん坊をあやす娘。
泣きやむ赤ん坊。
「お前も独りぼっちなんだね」
赤ん坊はニッコリと笑う。
娘は泣き濡れた顔で笑おうとする。
「きっと、神様がわたしに授けて下さったのね。何だか、お前を見ていたら、わたしも生きて行く力が出てきたみたい」
娘は赤ん坊を抱いて、神社の前まで行く。
「神様、わたし、もう一度、生きてみます。この子と一緒に‥‥‥ありがとうございました」
娘は頭を深く下げて、赤ん坊を抱いて帰る。
「あの娘が来なかったら赤ん坊は死んでいたかもしれない。そしたら、あなたは存在しないわ」
29
流れる電子音楽。
草むらの中で英雄と涼子が抱き合っている。
「兄と妹との間にできた、あの赤ん坊が俺の先祖なのか?」
「そうよ。あの子は立派に成長して素晴らしい武将になったのよ」
「近親相姦の血が俺の中に流れているのか?」
「あなただけじゃないのよ。今、この地上にいる連中、ほとんどがそうよ。たとえ兄と妹でも男と女にすぎないの。人間は男と女によって肉体は作る事ができるわ。でも、それはただ肉のかたまりにすぎないわ。魂がその肉体に入らなければ成長する事もできない。魂というのは人間に作る事はできないの。そして、魂というのは親も兄弟もない、まったく孤立したものなのよ」
「近親相姦‥‥‥そして、俺の子供たちがまた同じ事を繰り返している‥‥‥」
英雄と涼子、寄り添いながら山を下りて行く。
「あの二人はお互いに兄妹だと知っているのか?」
「まだ知らないはずよ。あなたも二人の事に気づいてないはずだわ」
「いつ、二人の関係がわかるんだ?」
「子供が生まれてからよ」
「俺は子供が生まれるまで、二人の事を知らないでいるのか?」
「そうよ。あの二人は大学で知り合って、いつの間にか、一緒に暮らすようになるのよ」
「子供の事も知らずに俺は一体、何をしてるんだ?」
「あなたはあなたの決められた道を歩いている。子供は子供で決められた通りに生きているのよ。たとえ、親でも子供の事を決める事はできないわ」
「一体、俺はどうしたらいいんだ?」
「心配しなくても、あなたのやるべき事はすべて、もう決まっているのよ」
「頼む、教えてくれ」
「それはわたしにもわからないわ」
「嘘だ! ちゃんと知ってるんだろ」
「わたしにも未来の事はわからないのよ」
「未来の事?」
一人の男が赤ん坊を抱いて山に登って来る。
辺りを見回してから、男は赤ん坊を草むらの中に置いた。
しばらく、男は赤ん坊を見ている。
「二十五年後のあなたよ‥‥‥そして、わたし」
赤ん坊が泣き出す。
男は慌てて逃げるように山を下りる。
草むらの中でポツンと泣いている赤ん坊。
30
山の朝。
小鳥たちのさえずり。
山の小道を子犬を連れて散歩している麗子。
子犬が急に草むらの方へ走り出す。
「どこ行くの? 待って!」
麗子は子犬の後を追って行く。
子犬は倒れている昭雄の側まで走って来て、キャンキャンと鳴く。
麗子、走って来て昭雄を見る。
「誰かしら? どうしたのかしら?」
麗子、昭雄を揺り起こす。
「大丈夫ですか? しっかりして下さい」
昭雄、目を開ける。
「山の精‥‥‥」
「えっ?」
昭雄は目を覚まして麗子を見る。
「あなたは人間ですか?」
「えっ? 人間ですけど‥‥‥」
「僕はどうして、こんな所にいるんでしょう?」
「倒れていましたよ」
「何か、変な夢を見ていたような気がする」
「さっき、山の精って言ってましたけど」
「あなたによく似た人が夢に出て来たようだけど‥‥‥よく覚えてない」
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
「わたしの家、すぐ近くですから休んでいきません?」
「ええ、どうも‥‥‥」
昭雄、立ち上がる。ちょっとフラつく。
「本当に大丈夫ですか?」
「頭がガンガンするんですよ‥‥‥でも、大丈夫です」
「うちで少し休むといいわ」
「どうもすみません」
麗子は子犬を抱いて歩いて行く。昭雄はついて行く。
31
広い農家の一室で、昭雄は布団の中で寝ている。
額の上に濡れた手拭いが載せてある。
そばに座って昭雄を見守っている麗子。
目を覚ます昭雄。
「目が覚めました?」
「ええ」
「頭の具合はどうですか?」
「ええ、もうすっかり治ったみたいです」
「よかったですね」
「迷惑かけて、どうもすみません」
「いいえ、あの、おなか、すいてません?」
「ええ、実はすいてるみたいです」
「用意してきます」
「あの、僕は石山昭雄といいます。あなたは?」
「砂川麗子です」
「麗子さんですか‥‥‥」
昭雄はどこかで聞いた事のある名前だと思うが、はっきり思い出せない。
麗子は出て行く。
32
食卓を囲んで食事をしている昭雄、麗子、麗子の父、母、そして、祖母。
「石山さんは絵画きさんなんですってね」と母親が言った。
「いえ、まだ、勉強中ですよ」
「この山を描きに来たんですって」と麗子が言う。
「それじゃあ、うちに泊まったらいいよ。今、どこかに宿をとってるんでしょ?」と祖母が聞いた。
「ええ、月見村の旅館に泊まっています」
「そう。うちにいらっしゃいな」
「お酒、飲めるんでしょう?」と父親が言う。
「ええ」
「このうちは女ばかりでね。いつも独りでやってるんですよ」
「うちはお客さんがあまりないもんですからね、もう大歓迎ですよ。ぜひ、うちに来て下さい」と母親は勧めた。
「ええ、ありがとうございます」
33
昭雄は小川のある風景を描いている。
そばで子犬と遊んでいる麗子。
昭雄の絵には小川の向こう側の石の上に人影のようなものが二つ描かれてある。しかし、別に暗い感じの絵ではない。
昭雄の絵を覗き込む麗子。
「なあに、これ?」
「わからない。この風景を見てたら、何となく、こんな風に感じたんだ」
「何だか、人の影みたいね。二人いるわ」
「うん」
「そういえば思い出したけど、わたしのお爺ちゃん、この山で自殺したらしいの」
「自殺? 何で?」
「会社がつぶれて責任が取れなくなったからみたい。もう、ずっと昔の事だけど」
「へえ、そんな事があったの」
「うん。わたしはまだ生まれてなかったから知らないけどね」
「そろそろ帰ろうか?」
「ええ」
昭雄は絵の道具を片付ける。
昭雄と麗子、寄り添いながら帰る。
二人の回りを走り回る子犬。
二人、見えなくなる。
まだ、明るい空に、ぼんやりと三日月が見える。
34
どう、元気でやってる?
あたし、疲れちゃった。やっぱり、人間は面倒見きれないわ。
あの昭雄って子、わりと素直だし可愛いかったけど、あれじゃあ、ちょっと見込みはないわね。せっかく、あたしがチャンスをあげたのに、あの麗子って娘の顔を見た途端に、あたしの事もあたしがしゃべった事もすっかり忘れちゃったわ。何があたしの顔と麗子の顔が似てるよ、どこが似てるっていうの。冗談じゃないわ。あたしをあんな小娘と一緒にしないでちょうだい。
最近のガキはまったく見る目がないわ。あんな節穴みたいな目をして、何が絵を描くよ、笑わせないでちょうだい。
あ〜あ、面白くない。
あら、噂をすれば二人が来たわ。まあまあ、楽しそうに仲がいいこと。
「ねえ、見て、綺麗な花が咲いてるわ」
あら、以外ね。麗子って娘、あたしに気がついたわ。へえ、結構、いい娘じゃない。昭雄なんかに勿体ないわ。
「そんな花なんかより、麗子さんの方がずっと綺麗ですよ。早く行きましょう」
まあ、何、あれ。あの馬鹿、よくもそんな事が言えたわね。あたしより麗子の方が綺麗だって‥‥‥くそったれが‥‥‥まあ、麗子の方はいいのよ。ちゃんと、あたしに気がついたし、心が綺麗なんだわ。だから、麗子は綺麗よ。それに比べ、昭雄はまったく駄目ね。もう救いようがないくらい馬鹿よ。あたしを見ようともしない。もっとも、見ようとしても、あの馬鹿には見えないでしょうけどね‥‥‥
まったく、あの馬鹿、鼻の下を伸ばして、「麗子さん、麗子さん」だって‥‥‥
ああ、腹が立つ。もう二度と人間なんかと遊んでやらないから、畜生。
酒、かっくらって、もう寝るわ!

間章 会話
以 「きっとよ、あしたになれば、きっとうまく行くわ」
呂 「スキャンダルだな。あいつを失脚させてやる」
波 「奴は笑いすぎたよ。調子に乗りすぎたんだな。バチが当たったのさ」
仁 「とうとう革命か。しかし、あまりにも夜明けが遅すぎたぜ。みんな、昔のような気力なんて抜けちまったよ。結構、長い夜を楽しんでるぜ」
保 「あたしね、そういうの嫌いよ」
反 「今に見てろよ。わしを追放したって解決するわけじゃねえ。あんな老人ホームはひっくり返してやる」
止 「これはあたしのよ。やめてよ。さわらないでちょうだい」
知 「ちょっと難しいな。今の医学では姓転換はできますけど、まだ、死んだ人を生き返らせる事はできないんですよ。でも、奥さんの頼みですからね、まあ、何とかやってみましょう」
利 「もう、あんな人、信じません。うまい事ばかり言って、あたしをだましてきたわ。見てよ、こんなに太っちゃって。もう絶対、信じないわ」
奴 「馬鹿な人間どもだ。奴らは法律は正しいと信じてやがる。楽しくなるね。ああゆう奴らがいるお陰で、こっちはガッポガッポ儲かる」
留 「両手と両足をもいじゃうのよ。そしてね、出血多量で死なないように綺麗に蓋をしてあげるの。そしてね、首輪をつけて、色んな所に散歩に連れてってやるの」
遠 「見ろよ。真っ赤に燃えてる。いいぞ。そうだ、みんな燃えちまえ、ヒッヒッヒ」
和 「どうして? どうしてなの? どうして、あたしばっか、みんなでいじめるの? あたしって、そんなに可愛いのかしら」
加 「畜生! 馬鹿にしやがって、ただじゃおかないから」
与 「拙者はあの女を殺してやる。この槍で串刺しにしてやる。あのにやけた野郎も一緒にだ」
太 「アブサンとジンとウィスキーを混ぜてくれ。そして、ペパーミントをちょっぴりな」
礼 「もっと強くよ。骨が折れるくらいに強く抱いて。そして、愛してると言って」
曽 「随分、長かった。でも、あたしはついにやったわ。あの会社はもう、あたしのもんだわ」
川 「うるせえなあ、誰もおめえの歌なんか聞いちゃあいねえよ」
祢 「あたいさ、あんたの事、惚れちゃったみたい。どうしてなんだろ」
奈 「太平洋のど真ん中で昼寝がしてえ」
良 「寒さをしのげる古着と生きて行けるだけの食べ物があればいい」
武 「赤ちゃんに戻りたいわ」
宇 「わたしはすべてを許さなくてはならない」
為 「人間はいつだって独りなんだ」
乃 「このすけべが、どこ、さわってんのよ」
於 「まだ駄目だ。何かが足りない」
久 「ねえ、お嬢さん、俺の子供、産んでくれよ」
也 「まだ血がついてるわ。あの人の血。あったかい真っ赤な血。いいえ、あたしじゃないわ。あれはきっと夢よ。あの人はきっと、いつものように笑ってくれるわ」
末 「おい、俺にもあいつと同じ奴をくれ。頭を使うと腹が減るな。金儲けだ? くそくらえ! どいつもこいつも何かをたくらんでいやがる」
計 「僕、ちょっと、しょんべんして来ます」
不 「ちょっと、あんた、勿体ない事しないでちょうだい」
己 「今、アフリカでは人々が死んでいます。飢えに苦しんで子供たちが泣いています。皆さん、こんな事でいいのでしょうか? 是非、皆さんの目で、この悲惨な事実を確かめて下さい。ボーナスが出たら、みんなでアフリカツアーに出掛けましょう」
衣 「からっぽっていう事は何でも入れる事ができるんだわ」
天 「もうやけくそよ。おかわり、じゃんじゃん持って来て。今夜はあたし、倒れるまで飲んでやる」
安 「来るべき時は来た。市民よ、袋を持ってゴミを拾え! この地上から一切のゴミを消し去るんだ!」
左 「いいえ、いけません。教科書にはそんな事は書いてありません」
幾 「へっへっへ。いいケツしてるな。可愛がってやるぜ。へっへっへ」
由 「こんなもんが飲めるか! もう一度、やり直せ。パリの朝だぜ。スラムの朝じゃねえんだよ」
女 「もう、あたし、あなたから離れる事、できないわ。もう、何もかもあなたのものよ。さあ、持っていって」
美 「わしじゃてのう、そりゃあ、五十年も前はいい女じゃて。花の銀座でよ、パラソルなんかさして腰を振り振り歩ったもんよ」
之 「綺麗なねえちゃんに囲まれてよ、上等なシャンパンを飲むのさ」
恵 「そうよ、それに決まってるわ」
比 「あたしはお金が大好き。お金のためなら何だってする。誰が何を言おうとあたしはあたしさ。この世はお金を持ってる奴が強いんだもん」
毛 「あたちね、大きくなったら、おにいちゃんのお嫁さんになるの」
世 「彼は人の命なんて何とも思いませんでした。人を殺す事の楽しみを体で覚えてしまったのです。あの楽しみを覚えてしまったら、もう忘れる事はできません。もう、中毒と同じです。人間の悲鳴、苦しみに歪む顔、そして、命が消える瞬間の何とも言えない快感。あれほど素敵なものはありません」
寸 「それは愛なのです。今、人類に最も必要なのは愛なのです」
无 「あ〜あ、つまんねえ」














